2019-12-08から1日間の記事一覧

No.12 儒学に関する用語

No.12 儒学に関する用語 2006/3/12(日) 『日本と中国』小学館 朱子学:北宋の程子川などの儒学(道学)を集大成して樹立した学問体系。形而上学としては程子」||の理気説にもとづいて、理気二元論に立つ。理は宇宙世界を生成する根本因、気はその材料となるも…

No.13 儒学から国学へ

No.13 儒学から国学へ 2006/3/12(日) 『近代日本思想史』第一巻 <p12> 徳川封建支配の世界観的支柱として、元禄・享保期までの、いわば、幕藩体制の成立期ないし安定期において一世に君臨したものは、「朱子学」の世界観であった。その担い手である「朱子…

No.14 経典の読誦

No.14 経典の読誦 2006/3/14(火) ■ 阿呆陀羅経? 『仏教漢文の読み方』金岡照光 筆者は、お経のリズムに耳を傾け、寺院の本堂で、ひとときの静寂な時間に身をひたすことは、立派な信仰体験のひとつであって、たとえ経の内容が十分よくわからなくても、貴重な…

No.15 輪廻の思想(その1)

No.15 輪廻の思想(その1) 2006/3/14(火) 一.輪廻の思想の成立とその問題 1.インドにおける輪廻思想の成立 インドにおげる哲学的思索は、早くもインド最古の文献である『リグ・ヴェーダ』において、豊かに芽吹いている。 『リグ・ヴェーダ』の成立年代…

No.16 輪廻の思想(その2)

No.16 輪廻の思想(その2) 二.輪廻からの解脱 前五、六世紀ころになるとシュラマナ(沙門)と呼ばれる新しい宗教者・思想家が多数輩出してきた。彼らは家族を放棄し、一個所に定住することなく遊歴し、生涯にわたって禁欲して独身を守り、乞食によっての…

33-01 経典の書写の始まり

33-01 経典の書写の始まり 2006/9/8(金) 小乗仏教が書写すなわち文字で書き記されるようになったのは紀元前後からである。釈迦の死後何世紀も経てからである。仏教は釈迦の教えである。釈迦の教えは口頭でなされた。釈迦の教えは、「釈迦がこのように語った…

33-02 経典の結集

33-02 経典の結集 2006/9/11(月) 結集の一般的説明は下記のとおりである。しかし、初期の結集は口伝でなされたものと考える。以下は引用である。 釈迦の死後、残された教えの散逸を防ぎ、間違いを正すためにたびたび結集が行われた。釈迦の在世中は疑義が出…

33-03 般若経典群

33-03 般若経典群 2006/9/16(土) ■ 般若経の内容 「般若波羅蜜」とは、一言で言うならば「智慧の完成」であり、それは空の体得によって得られという。部派仏教とくに説一切有部の構築したモノの存在が実在しているという説を強く批判し、その固定的なありか…

33-04 バーミヤンの写本1

33-04 バーミヤンの写本1 2006/9/21(木) 1.はじめに 今世紀初頭、英国のスタイン、フランスのペリオ、ドイツのグリュンヴェーデル、わが国の大谷探検隊を始めとする各国の探検隊は競って中央アジアへ足を踏み入れ、シルクロードに点在する遺跡を発掘し、…

33-05 バーミヤンの写本2

33-05 バーミヤンの写本2 2006/9/22(金) 3 説一切有部『長阿含』のギルギット写本 1997年11月、スコイエン・コレクションを最初に訪ねた帰途、ロンドンのディーラー、サム・フォッグにおいて筆者は、2週間前にパキスタンから届いたばかりという樺皮…

33-06 パーリ語聖典

33-06 パーリ語聖典 2006/9/23(土) 経は釈迦や、弟子たちの言行録を集めたもの。釈迦の入滅後、教えを正しく伝えるために、弟子たちは経典編集の集会(結集(けつじゅう))を開き、経典整理を開始した。 ところが、仏滅後100~200年ころには教団は多くの部…

33-07 ハッダ出土の最古の経典

33-07 ハッダ出土の最古の経典 2006/9/25(月) ■ 問題の提起 今日では経典は文字で書写されたものをいう。書写の材料としては、古くは、椰子の葉(貝葉)、白樺の樹皮、羊の皮などが使われた。しかし、経典が一般に書写されるようになったのは仏陀がなくなっ…

33-08 阿含経典の成立は新しい

33-08 阿含経典の成立は新しい 2006/12/9(土) ■ はじめに 経典の書写され始めた時期はこれまでほとんど問題にされてこなかった。しかし、大乗仏教の興起や仏像の制作の始まりを考える上でも重要な問題と考える。下記の文章は、訳者のあとがきという場所から…

32-01 「初転法輪」像の意味

■ 成道から説法まで 仏陀はともに苦行を行っていた五人の沙門と別れてから、尼連禅河(にれんぜんが)で沐浴し、村娘スジャータの乳糜(牛乳で作ったかゆ)の布施を受け、気力の回復を図った。続いて菩提樹の下で、四十九日間の観想に入った。そして、ついに…

32-02 仏像と転輪聖王

32-02 仏像と転輪聖王 2006/6/30(金) 今日の仏教にとって仏像の存在は余りにも当然のことである。仏像の無い仏教は考えられない。しかし、釈迦の在世中はもちろん、亡くなった後も長い間、仏像は造られることはなかった。仏像がはじめて造られたのは、紀元一…

32-03 仏伝と仏像美術

32-03 仏伝と仏像美術 2006/7/18(火) 仏像ができる前、仏教美術は仏塔(ストゥーパ)の荘厳という形で開花していた。仏塔崇拝はマウリア朝のアショーカ王(紀元前268~232年)のころから盛んになった。アショーカ王は仏教に帰依した後、八万四千ともいわれる多…

32-04 「転輪聖王」の登場と経典

32-04 「転輪聖王」の登場と経典 2006/7/19(水) ■ はじめに アショーカ王の時代に第三結集がなされる。今日、スリランカや東南アジアのタイやミャンマーに伝えられている小乗仏教(上座部仏教)の経典はこのときの結集によって整理されたものである。この頃…

32-05 『道行般若経』と仏像

32-05 『道行般若経』と仏像 2006/7/21(金) 梶山雄一氏は、ここでは、『八千頌般若経』の成立時期を問題としている。『道行般若経』の原本であった当時のサンスクリット語の『八千頌般若経』にはいまだ仏像に関する表現がないとすれば、『八千頌般若経』のも…

32-06 ジャータカ(本生譚)について

32-06 ジャータカ(本生譚)について 2006/7/22(土) ジャータカとは、本生譚と訳されるように、仏陀の前生の物語である。わずかな例ではあるが仏陀以外のものの前生の物語を指すこともある。仏陀が現生において覚者になったのは、無数の過去世において、あり…

32-07 仏伝の成立

32-07 仏伝の成立 2006/7/23(日) ■ 仏伝の成立 仏陀の伝記のうち、出家以後、厳密にいえば成道以後の事蹟が早くから仏伝などにあらわれ、美術でもとり上げられている。ジャータカ(本生譚 ほんじょうたん)も早くから成立していたようである。これは仏陀が宗…

32-08 小乗の『大般涅槃経』より

32-08 小乗の『大般涅槃経』より 2006/7/24(月) 小乗の『大般涅槃経』(だいはつねはんきょう)から下記に引用します。大乗にも『涅槃経』があります。同じく釈尊の涅槃をテーマにしていますが、小乗の『涅槃経』は釈尊の入滅のシーンで終わるのに対して、大…

32-09 『三十二相経』より

32-09 『三十二相経』より 2006/7/25(火) 『原始仏典』第三巻 長部経典Ⅲ 『三十二相経』 本経は、仏陀がサーヴァッティー市の給孤独長者の園林に滞在しているとき、偉大な人に具わっている三十二の身体的特徴(三十二大人相)について説かれたものである。 …

32-11 最古の仏像

32-11 最古の仏像 2006/8/17(木) ■ 仏像制作の始まり 仏像はクシャン朝の時代、西暦一世紀の頃、西北インドのガンダーラと中インドのマトゥーラの地で制作されはじめた。クシャン朝の版図はこの時代、ガンダーラを中心に北は中央アジア・西域の一部まで、東…

32-12 クシャン朝の役割

32-12 クシャン朝の役割 2006/8/18(金) ■ 仏陀観の展開とクシャーン朝の文化 仏像の起源についてはなお不明な部分が少なくないが、クシャーン朝時代(一世紀中頃~三世紀中頃)に仏像の造像は一般化し、急速な展開をみたことは間違いない。仏像の制作が急速…

32-13 「仏像」の二つの意味

32-13 「仏像」の二つの意味 2006/8/18(金) 午前 7:02 --32 仏像と経典の成立 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく 仏像は英語でなんと言うのか。a Buddhist image または、an image of Buddha である。image の意味は広い。彫像のみでなく、画像、さら…

32-14 仏陀像不表現の理由

32-14 仏陀像不表現の理由 2006/8/19(土) 午前 3:58 --32 仏像と経典の成立 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく とにかく、仏陀の最後生における姿を描出しないということに、特に注目すべきである。例えば「阿閣世王の礼仏」と題銘のついたバールフッ…

32-15 仏像と大乗仏教

32-15 仏像と大乗仏教 2006/8/20(日) 仏像の製作は、紀元1世紀の初め頃、ガンダーラやマトゥーラにおいてはじめられたといわれている。ガンダーラやマトゥーラで製作された仏像は、数多く発掘されている。その多くは釈迦如来像、釈迦菩薩像、弥勒菩薩像、観…

32-16 バーミアン

32-16 バーミアン 2006/8/21(月) バーミアン渓谷は古代以来の都市であるバーミアンの町を中心とするヒンズークシ山脈の山中の渓谷地帯で、標高2500mほどの高地に位置する。バーミアン遺跡は「バーミアン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」として、2003年にユネ…

32-17 アジャンタの石窟

32-17 アジャンタの石窟 2006/8/22(火) 午前 5:54 --32 仏像と経典の成立 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく アジャンタはインド西部、デカン高原の断崖に作られた仏教石窟群である。マハラシュトラ州アウランガバードから100㎞の人里離れた谷にある…

32-18 エローラの石窟

■ 位置と概略 マハラーシュトラ州中部の町オーランガバードから約20km。エローラは、なだらかな丘の西麓を掘削して作られた寺院遺跡である。掘削が開始されたのは5世紀頃。以後10世紀にかけて仏教、ジャイナ教、ヒンズー教の石窟が彫り上げられた。ヒンド…