33-08 阿含経典の成立は新しい

33-08 阿含経典の成立は新しい

2006/12/9(土)


■ はじめに

 経典の書写され始めた時期はこれまでほとんど問題にされてこなかった。しかし、大乗仏教の興起や仏像の制作の始まりを考える上でも重要な問題と考える。下記の文章は、訳者のあとがきという場所からの引用であるが、阿含と大乗経典の書写年代についての先後関係などは、わが意を得たりというところである。

以下、引用である。
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■ 経と律の関係

 経と律はどちらが古いのかということには問題があります。一般には経のほうが律よりも成立が古いと考えられていますが、果たしてそれは確かなことでしょうか。経蔵が律蔵と別に発展したとする考え方に確たる根拠があるでしょうか。根本説一切有部律には興味深い事実があります。それは多数の経がこの律に埋め込まれているという事実です。パーリニカーヤの長部経典の三分の一あるいはそれ以上に相当する経が、根本説一切有部律の中に何でも除かれずに、その一部として存在しています。

 このことはパーリの経典が誰かによって律から取り出されたものであるという印象を与えます。そうすると経蔵は律蔵から取り出されて成立したという可能性が考えられます。それに、僧院制度という観点からしても律が先に作られたと考えるほうが理にかなっています。経蔵が律蔵より先に作られたとする見方には、教義的なもののほうが制度的なものより先に作られたと考えるべきだとする偏見が潜んでいると思われます。しかしそう考える根拠はどこにもありません。むしろその逆であることを示す証拠がいくつか存在します。

 その一つは、インドでは行の正当性のほうが教義の正当性よりも重要視されるという傾向があるということです。インドの宗教では一般に思想よりも行動のほうに重要性が置かれます。例えばギルギットの教団では、律としては根本説一切有部律が用いられましたが、経はすべて大乗経典が用いられていたようです。教団としては僧が律さえ守っておれば、誰も彼の思想に関してとやかく言わないのです。教団では思想はさほど問題にされないのです。西洋では思想や教義のほうを重要だと考えますが、インドでは逆だったのです。


■ 阿含と大乗経典の書写年代

 一般に阿含は大乗経典よりも先に書かれたと考えられていますが、このことに関しても問題があります。マハーヴァンサには聖典が紀元元年直前に書かれたことが述べられていますが、それはスリランカでのことであって、インドに関しては何も分かりません。インドでは長い間かかって次第に口伝から記録による伝承へと変化していったように思われます。スリランカ聖典が記録された時代は大乗経典がインドで書かれた時代に対応しています。

参照・引用
・小谷信千代 『大乗仏教興起時代 インドの僧院生活』 春秋社 訳者あとがき