200日本-30聖徳太子の仏教

200-23-02 太子と菩薩

200-23-02 太子と菩薩 『隋書倭国伝』の、 607年の遣隋使についての次の箇所はよく知られている。 その国書にいわく、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや、云云」と。帝、これを覧て悦ばず、鴻臚卿にいっていわく、「蛮夷の書、無礼…

23-03 伝記の資料一覧

23-03 伝記の資料一覧 2006/10/26(木) ◆『日本書紀』 【成立】奈良・養老20(720)年【編者】舎人親王 他720年(養老4)成立 舎人親王編修・太子のことを知る上での最古の根本資料・太子没後100年目に撰述された本書においてすでに聖人化が明確に表れ…

23-04 最近の太子研究

23-04 最近の太子研究 2006/10/26(木) 「聖徳太子」といえば、用明天皇の皇子で「厩戸皇子(うまやどのみこ)」といわれ、用明の姉にあたる推古天皇が即位するや、甥の聖徳太子は摂政となり蘇我馬子と協力して、冠位十二階の制度や、憲法十七条を制定し、小…

23-05 太子と阿弥陀信仰

23-05 太子と阿弥陀信仰 2006/10/26(木) 午前 9:06 --23 聖徳太子の仏教 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく わが国における阿弥陀信仰は、釈迦信仰や薬師信仰、弥勒信仰、観音信仰などと共に、その歴史は古く、しかも今日にいたるまでひろく、かつ強…

23-06 太子の先駆性

23-06 太子の先駆性 2006/10/26(木) 聖徳太子が生まれたのが573年、推古天皇の摂政になったのが593年。主な事跡を並べてみる。 601年 斑鳩(いかるが)宮の造営に着手 603年 冠位十二階制定 604年 十七条憲法制定 605年 斑鳩宮完成 607年 遣隋使派遣、法隆寺…

23-07 太子の年表

23-07 太子の年表 2006/10/26(木) 538年 百済の聖明王が仏像、経論、僧を献じる。 <帝・元>572年 (誕生) 聖徳太子(厩戸皇子)を穴穂部間人皇女が厩戸前にて出産583年(12歳) 日系百済人の日羅が来朝し「敬礼救世観音 伝燈東方粟散王」と太子を礼賛584年…

23-08 天寿国繍帳

23-08 天寿国繍帳 2006/10/26(木) 東京国立博物館には四つの建物がある。正門を入って正面に見えるのが本館、その左手少し奥に平成館、右手にオリエント館が並ぶ。正門からは見えないが、左に入ってゆくと、法隆寺宝物館がある。先に述べた、天台宗開宗1200…

22-26 聖徳太子とアショカ王

22-26 聖徳太子とアショカ王 2007/4/12(木) 仏教の受容のもたらすものは想像以上に大きい。仏教の受容は漢字と仏像をもたらすことを意味する。それまでは、言霊思想が支配的であった。仏教の受容は、言葉を漢字という文字で表し、神を像であらわすことを受け…

23-09 太子の仏教の特色

23-09 太子の仏教の特色 2007/5/9(水) ■ 太子仏教の在家的傾向 太子の代表的な著作とされているものといえば『三経義疏』である。これは、『法華経』、『維摩経』、『勝鬘経』の三経に対する注釈書の総称であある。内容としては、例えば、『法華義疏』は中国…

23-10 太子と日本天台

23-10 太子と日本天台 2007/5/9(水) ■ 聖徳太子と仏教 和国の教主 法華経の最初の研究者 鑑真来日と太子伝説 鑑真来日と最澄 中国仏教史とインド仏教史を並行的に見てはならない 日本の仏教史と中国の仏教史は並列的に見なくてはならない 聖徳太子 百済から…

21-14 太子の後半生

21-14 太子の後半生 2006/10/27(金) 斑鳩の宮の建設、斑鳩への一族の移転は蘇我氏との権力争いに敗れたためではない。斑鳩の宮の建設が開始されたのは601年、完成し移転したのが605年。しかし、である。 聖徳太子は、摂政になったとき(593年)から、退き時…