100中国-70弥勒信仰

17-01 疑経と弥勒信仰

17-01 疑経と弥勒信仰 2007/4/13(金) 中国には疑経と呼ばれるお経がある。インド(もしくは中央アジア)で作られ中国語に訳されたのではなく、はじめから中国語で書かれた仏教経典をそう呼ぶ。「疑経」という言い方自体、否定的表現である。しかし、中国にお…

17-02 弥勒信仰の伝来と『下生経』

17-02 弥勒信仰の伝来と『下生経』 2007/4/25(水) 中国に弥勒信仰が伝わったのはいつか。『弥勒への約束』(以下『約束』という)というお経があることは別のところで述べている。もとはインドの文語であるサンスクリットで書かれたものである。その翻訳は四…

17-03 『上生経』とは

17-03 『上生経』とは 2007/4/25(水) 弥勒について語る中国語訳の経典には、もうひとつ別の『観弥勒菩薩上生兜率天経』というものがある。略して『上生経』と呼ぶ。五世紀の中ごろ沮渠京声(そきょきょうしょう)が訳したと伝えられる。サンスクリット本は伝…

17-04 『上生経』の意味するもの

17-04 『上生経』の意味するもの 2007/4/25(水) 『上生経』においては、兜率天のありさまがくわしく語られる。兜率天にある宮殿のようすが語られ、そこにいる弥勒の姿かたちもくわしく語られる。そして、そのさまを心に思い描くことがしきりにすすめられてい…

17-06 『法滅尽経』と末法思想

17-06 『法滅尽経』と末法思想 2007/4/26(木) 『法滅尽経』のテーマは、僧侶の堕落と教団の危機がテーマとなっている。五胡十六国のうち最後に北魏に滅ぼされた北涼でも仏教が盛んであった。国王の沮渠蒙遜(そきょもうそん、在位401年-433年)は中央アジア…

17-07 月光童子の登場

17-07 月光童子の登場 2007/4/26(木) 未来のあるとき、人間世界が危機におちいり、自然災害までそれに連動する。そういう思想が中国にはある。讖緯(しんい)の文献に語られ、道教経典でもくりかえし説かれていた。讖緯とは、儒教の経典にかこつけて神秘的な…

17-08 弥勒から阿弥陀へ

17-08 弥勒から阿弥陀へ 2007/4/26(木) 六世紀に弥勒の救済を説く偽経がいくつか現れた。だからといってそれまでの正統的な(中国語訳の経典にもとづく)弥勒信仰が一掃されてしまったわけではない。しかし、正統的な弥勒信仰に、確実に変質をもたらしたこと…

17-09 南獄慧思の末法思想

17-09 南獄慧思の末法思想 2007/4/26(木) 天台大師智顗(ちぎ)の師であった南岳慧思(なんがくえし)は、五五八年に『立誓願文』(りゅうせいがんもん)を書いた。また、慧思は「般若経」を金字で書写し、七宝の箱におさめた。弥勒が現れたとき、この経典を…

17-01 疑経と弥勒信仰

17-01 疑経と弥勒信仰 中国には疑経と呼ばれるお経がある。インド(もしくは中央アジア)で作られ中国語に訳されたのではなく、はじめから中国語で書かれた仏教経典をそう呼ぶ。「疑経」という言い方自体、否定的表現である。しかし、中国における弥勤信仰の…

17-02 弥勒信仰の伝来と『下生経』

17-02 弥勒信仰の伝来と『下生経』 2007/4/25(水) 中国に弥勒信仰が伝わったのはいつか。『弥勒への約束』(以下『約束』という)というお経があることは別のところで述べている。もとはインドの文語であるサンスクリットで書かれたものである。その翻訳は四…

17-03 『上生経』とは

17-03 『上生経』とは 2007/4/25(水) 弥勒について語る中国語訳の経典には、もうひとつ別の『観弥勒菩薩上生兜率天経』というものがある。略して『上生経』と呼ぶ。五世紀の中ごろ沮渠京声(そきょきょうしょう)が訳したと伝えられる。サンスクリット本は伝…

17-04 『上生経』の意味するもの

17-04 『上生経』の意味するもの 2007/4/25(水) 『上生経』においては、兜率天のありさまがくわしく語られる。兜率天にある宮殿のようすが語られ、そこにいる弥勒の姿かたちもくわしく語られる。そして、そのさまを心に思い描くことがしきりにすすめられてい…

17-05 弥勒信仰の変質と疑経

17-05 弥勒信仰の変質と疑経 2007/4/25(水) 弥勤信仰を変質させた疑経のひとつに『法滅尽経』がある。釈迦の教えが滅びようとするときのありさまを語った経典である。その描写がたいへんリアルなため、いくつかの仏教文献に引用された。そのため、古くから疑…

17-06 『法滅尽経』と末法思想

17-06 『法滅尽経』と末法思想 2007/4/26(木) 『法滅尽経』のテーマは、僧侶の堕落と教団の危機がテーマとなっている。五胡十六国のうち最後に北魏に滅ぼされた北涼でも仏教が盛んであった。国王の沮渠蒙遜(そきょもうそん、在位401年-433年)は中央アジア…

17-07 月光童子の登場

17-07 月光童子の登場 2007/4/26(木) 未来のあるとき、人間世界が危機におちいり、自然災害までそれに連動する。そういう思想が中国にはあり、讖緯(しんい)の文献に語られ、道教経典でもくりかえし説かれていた。讖緯とは、儒教の経典にかこつけて神秘的な…

17-08 弥勒から阿弥陀へ

17-08 弥勒から阿弥陀へ 2007/4/26(木) 六世紀に弥勒の救済を説く偽経がいくつか現れた。だからといってそれまでの正統的な(中国語訳の経典にもとづく)弥勒信仰が一掃されてしまったわけではない。しかし、正統的な弥勒信仰に、確実に変質をもたらしたこと…

17-09 南獄慧思の末法思想

17-09 南獄慧思の末法思想 2007/4/26(木) 天台大師智顗(ちぎ)の師であった南岳慧思(なんがくえし)は、五五八年に『立誓願文』(りゅうせいがんもん)を書いた。また、慧思は「般若経」を金字で書写し、七宝の箱におさめた。弥勒が現れたとき、この経典を…