300インド-20仏像の成立

32-01 「初転法輪」像の意味

■ 成道から説法まで 仏陀はともに苦行を行っていた五人の沙門と別れてから、尼連禅河(にれんぜんが)で沐浴し、村娘スジャータの乳糜(牛乳で作ったかゆ)の布施を受け、気力の回復を図った。続いて菩提樹の下で、四十九日間の観想に入った。そして、ついに…

32-02 仏像と転輪聖王

32-02 仏像と転輪聖王 2006/6/30(金) 今日の仏教にとって仏像の存在は余りにも当然のことである。仏像の無い仏教は考えられない。しかし、釈迦の在世中はもちろん、亡くなった後も長い間、仏像は造られることはなかった。仏像がはじめて造られたのは、紀元一…

32-03 仏伝と仏像美術

32-03 仏伝と仏像美術 2006/7/18(火) 仏像ができる前、仏教美術は仏塔(ストゥーパ)の荘厳という形で開花していた。仏塔崇拝はマウリア朝のアショーカ王(紀元前268~232年)のころから盛んになった。アショーカ王は仏教に帰依した後、八万四千ともいわれる多…

32-04 「転輪聖王」の登場と経典

32-04 「転輪聖王」の登場と経典 2006/7/19(水) ■ はじめに アショーカ王の時代に第三結集がなされる。今日、スリランカや東南アジアのタイやミャンマーに伝えられている小乗仏教(上座部仏教)の経典はこのときの結集によって整理されたものである。この頃…

32-05 『道行般若経』と仏像

32-05 『道行般若経』と仏像 2006/7/21(金) 梶山雄一氏は、ここでは、『八千頌般若経』の成立時期を問題としている。『道行般若経』の原本であった当時のサンスクリット語の『八千頌般若経』にはいまだ仏像に関する表現がないとすれば、『八千頌般若経』のも…

32-06 ジャータカ(本生譚)について

32-06 ジャータカ(本生譚)について 2006/7/22(土) ジャータカとは、本生譚と訳されるように、仏陀の前生の物語である。わずかな例ではあるが仏陀以外のものの前生の物語を指すこともある。仏陀が現生において覚者になったのは、無数の過去世において、あり…

32-07 仏伝の成立

32-07 仏伝の成立 2006/7/23(日) ■ 仏伝の成立 仏陀の伝記のうち、出家以後、厳密にいえば成道以後の事蹟が早くから仏伝などにあらわれ、美術でもとり上げられている。ジャータカ(本生譚 ほんじょうたん)も早くから成立していたようである。これは仏陀が宗…

32-08 小乗の『大般涅槃経』より

32-08 小乗の『大般涅槃経』より 2006/7/24(月) 小乗の『大般涅槃経』(だいはつねはんきょう)から下記に引用します。大乗にも『涅槃経』があります。同じく釈尊の涅槃をテーマにしていますが、小乗の『涅槃経』は釈尊の入滅のシーンで終わるのに対して、大…

32-09 『三十二相経』より

32-09 『三十二相経』より 2006/7/25(火) 『原始仏典』第三巻 長部経典Ⅲ 『三十二相経』 本経は、仏陀がサーヴァッティー市の給孤独長者の園林に滞在しているとき、偉大な人に具わっている三十二の身体的特徴(三十二大人相)について説かれたものである。 …

32-11 最古の仏像

32-11 最古の仏像 2006/8/17(木) ■ 仏像制作の始まり 仏像はクシャン朝の時代、西暦一世紀の頃、西北インドのガンダーラと中インドのマトゥーラの地で制作されはじめた。クシャン朝の版図はこの時代、ガンダーラを中心に北は中央アジア・西域の一部まで、東…

32-12 クシャン朝の役割

32-12 クシャン朝の役割 2006/8/18(金) ■ 仏陀観の展開とクシャーン朝の文化 仏像の起源についてはなお不明な部分が少なくないが、クシャーン朝時代(一世紀中頃~三世紀中頃)に仏像の造像は一般化し、急速な展開をみたことは間違いない。仏像の制作が急速…

32-13 「仏像」の二つの意味

32-13 「仏像」の二つの意味 2006/8/18(金) 午前 7:02 --32 仏像と経典の成立 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく 仏像は英語でなんと言うのか。a Buddhist image または、an image of Buddha である。image の意味は広い。彫像のみでなく、画像、さら…

32-14 仏陀像不表現の理由

32-14 仏陀像不表現の理由 2006/8/19(土) 午前 3:58 --32 仏像と経典の成立 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく とにかく、仏陀の最後生における姿を描出しないということに、特に注目すべきである。例えば「阿閣世王の礼仏」と題銘のついたバールフッ…

32-15 仏像と大乗仏教

32-15 仏像と大乗仏教 2006/8/20(日) 仏像の製作は、紀元1世紀の初め頃、ガンダーラやマトゥーラにおいてはじめられたといわれている。ガンダーラやマトゥーラで製作された仏像は、数多く発掘されている。その多くは釈迦如来像、釈迦菩薩像、弥勒菩薩像、観…

32-16 バーミアン

32-16 バーミアン 2006/8/21(月) バーミアン渓谷は古代以来の都市であるバーミアンの町を中心とするヒンズークシ山脈の山中の渓谷地帯で、標高2500mほどの高地に位置する。バーミアン遺跡は「バーミアン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」として、2003年にユネ…

32-17 アジャンタの石窟

32-17 アジャンタの石窟 2006/8/22(火) 午前 5:54 --32 仏像と経典の成立 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく アジャンタはインド西部、デカン高原の断崖に作られた仏教石窟群である。マハラシュトラ州アウランガバードから100㎞の人里離れた谷にある…

32-18 エローラの石窟

■ 位置と概略 マハラーシュトラ州中部の町オーランガバードから約20km。エローラは、なだらかな丘の西麓を掘削して作られた寺院遺跡である。掘削が開始されたのは5世紀頃。以後10世紀にかけて仏教、ジャイナ教、ヒンズー教の石窟が彫り上げられた。ヒンド…

32-19 神格化(神通の神変)

32-19 神格化(神通の神変) 2006/8/24(木) 教団が発展して変容してくると、仰がれる開祖の姿も発展し変容する。釈尊ゴータマは、永遠の真理を悟ったが故に、覚者と呼ばれる。しからば、真理を悟った人はみな覚者であるといわなければならない。その人は何ら…

32-20 仏塔と菩薩に見る賎

32-20 仏塔と菩薩に見る賎 2006/8/25(金) ■小乗涅槃経に見るブツダの葬法と塔の建立 ブッダは入滅を前をして、「法を見る者は我を見る。我を見る者は法を見る」とか、「自己を燈(洲・依り所)とし他者を依り所とせず、法を燈(洲・依り所)とし他者を依り所…

32-21 仏塔(ストゥーパ)の建立・管理

32-21 仏塔(ストゥーパ)の建立・管理 2006/8/26(土) 『仏塔と菩薩に見る賎』の文章は二つの重要な、問題を提起している。 ■大乗仏教の興起 従来は、小乗仏教(部派仏教)は仏塔(ストゥーパ)とは一定の距離を保っていた。仏塔の管理はもっぱら在家の信者…

32-22 マウリア朝とアショカ王の登場

32-22 マウリア朝とアショカ王の登場 2006/8/27(日) ■マガダ国の成立 前七世頃のインドはいわゆる十六王国時代である。前六世紀にはいると、この中からガンジス川中流域、現在のビハール州を中心とするマガダ国と、同じくガンジス川中流域(マガダより上流域…

32-24 「偶像崇拝」とは

32-24 「偶像崇拝」とは 2006/8/29(火) 仏像の制作がどのようにして始まったのかを考えるにあたって、「偶像崇拝」について整理をする必要がある。下記の文章がよくまとまっているので引用させていただいた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%B6%E5%83%…

32-25 神格化(蓮華座と炎、水)

32-25 神格化(蓮華座と炎、水) 2006/8/31(木) 仏像イメージの神格化 蓮華座と炎、水 ■ ガンダーラの大神変図と浄土図の原型宮治 昭 インドの仏教美術に、「舎衛城の神変」と呼ばれる仏伝のテーマがある。『ディヴィヤ・アヴァダーナ』の「プラーティハール…

32-26 阿弥陀仏の西漸

32-26 阿弥陀仏の西漸 2006/9/1(金) 阿弥陀仏像と観音菩薩像は中国で制作された。その後西域に西漸した。このように書くと驚く人もいるだろう。仏教はインドから中国へ伝えられた。ガンダーラなどの西北インドも含めてインドを考えれば、仏教は東漸したとい…

32-28 仏像と密教

32-28 仏像と密教 2006/9/3(日) 仏像の発生について次の諸点が私の述べたいところである。1.仏像は部派仏教(小乗仏教)の中から生まれてきたこと、2.大乗仏教とは仏像の発生と無関係であったこと、3.中国の受容の段階で、仏像と大乗仏教が結びついた…

31-37 「転輪聖王」の登場

31-37 「転輪聖王」の登場 2007/2/22(木) 午前 5:22 --32 仏像と経典の成立 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく 三十二相八十種好という仏像のイメージは、「転輪聖王」のイメージになぞらえて形成されたと考えられる。「転輪聖王」概念はいつ頃成立し…