32-01 「初転法輪」像の意味

■ 成道から説法まで

 仏陀はともに苦行を行っていた五人の沙門と別れてから、尼連禅河(にれんぜんが)で沐浴し、村娘スジャータの乳糜(牛乳で作ったかゆ)の布施を受け、気力の回復を図った。続いて菩提樹の下で、四十九日間の観想に入った。そして、ついに十二月八日の未明に大悟する。これを成道と言う。

 仏陀は成道後もなお七日の間禅定を続けた。その後もそこを動こうとはしなかった。仏陀にはためらいがあった。そのためらいは経の中で次のような詩句に要約されている。

  困苦して私がさとり得たことを、
  今またどうして説くことができようか。
  貪りと怒り、瞋りに悩まされた人々が、
  この真理をさとることは容易ではない。
  これは世の流れに逆らい、微妙であり、
  深遠で見がたく、微細であるから、
  欲を貪り、暗闇に覆われた人々は見ることができない。
        (中村元編 『原始仏典』p24 筑摩書房

 増谷文雄はこのときの仏陀のためらいを「正覚者の孤独」と表現している。しかし、梵天の三度の説得の後、立ち上がった。

 日常勤行の始めに開経偈(かいきょうげ)がある。ふりがなはわが家の読み方である。

        無上甚深 微妙法(むじょうじんじん みみょうほう)
         百千万劫 難遭遇(ひゃくせんまんごう なんそうぐう)
        我今見聞 得受持(がーこんけんもん とくじゅーじー)
        願解如来 真実義(がんげにょらい しんじつぎー)

 この文の出典は実は明らかでない。明らかでないが、前述の釈迦の「ためらい」とあわせてみてみると深い意味が理解できそうである。


■ 最初期の仏像の図柄 

 最初の仏像の図柄がどのようなものであったか。上記の問題と関連する。仏伝図は、「誕生」、「降魔成道」、「初転法論」、「涅槃」の四つの代表的な場面をテーマとした。これを四相図という。最初の仏陀像は、「初転法輪」の姿を表した。「初転法輪」とは、上述したように、ためらいを捨て、最初の説法に踏み切った場面である。説法の開始こそ、仏陀の慈悲の発現の姿なのである。

 最初期の仏陀像はクシャン朝の金貨に彫られたレリーフ像である。その金貨の図柄は法輪に手を架けた立像である。すでに涅槃に入った仏陀が再び説法に立ち上がった姿、それが「初転法輪」の像なのだろうか。