2019-12-08から1日間の記事一覧

No.17 野鳥が少ない?

No.17 野鳥が少ない? 2006/4/25(火) 今年の冬は万両の赤い実が鈴なりのようになった。このような豊作?は私にとってもはじめての経験である。その赤い実がいまだにそのまま残っている。万両の実は、鳥に食べられて、遠くまで運ばれ繁殖する。今年は、鳥が食…

No.18 変化の早さ

No.18 変化の早さ 2006/5/10(水) 午前 6:31 ハナミズキが一夜の雨で散ってしまった。ボタンも三本が交代するように咲いたが終わりのようである。椿も終わりである。チューリップはいつしか散ってしまっていた。つつじが満開を迎えている。ボケの真っ赤な花は…

No.18 第一波来襲

2006/5/23(火) 薄墨桜は玄関の脇にある。その下ではアーチ状に仕立てたバラが満開である。このバラの名前は忘れたが、色の変化が面白い。小さな花で、蕾みのうちはピンク色である。開くに従って白くなり、やがて真っ白になる。薄墨桜の色の変化と同じである…

No.19 トマトの花

No.19 トマトの花 2006/5/25(木) 連休の間に植えておいた苗が活着して花を咲かせ始めた。金蓮花(ナスタチウム)とトマトである。金蓮花は葉が蓮の形をしていることからこの名がついたのであるが、葉や花を食べることができる。ピリリとした辛味がある。カラ…

No.20 ハーブ

No.20 ハーブ 2006/5/26(金) 金蓮花(ナスタチウム)はハーブの仲間である。ハーブは一般に香草といわれるように香りを利用する場合が多い。ミントやセージはまだ料理にも利用するが、ラベンダーなどとなると料理とは縁が無くなる。ミントやセージの香りは、…

No.21 柿の花とさくらんぼ

No.21 柿の花とさくらんぼ 2006/6/1(木) 庭の柿ノ木に花が咲き、実ができ始めた。柿の花は直径が1cmにも満たない小さな花で、真っ白である。茶色になった花を抜き取ると小さな実がついている。去年は大豊作であったから、今年は多くを期待できない。 薄墨…

No.22 台風一過

No.22 台風一過 2006/9/20(水) 台風の直撃は免れたが、今日は台風一過の青空である。暑い夏が過ぎ、雨も適度に降り、庭に木々も新しい芽を出し始めた。その中で都祁(つげ)が新芽が目立つ。今年は春先から夏にかけて都祁の新芽が見られなかった。虫に新芽を…

幻の「寒バラ」

幻の「寒バラ」 2007/1/6(土) 昨年の暮れに体調を崩して、ブログの更新もできなかったが、その間も多くの皆さんに来ていただいてアクセス件数も4000を超えました。ありがとうございます。 今日は小寒で、寒の入りである。この寒さの中で、庭のバラが蕾を…

桜切るバカ、梅切らぬバカ

桜切るバカ、梅切らぬバカ 2007/4/12(木) 桜の木の枝は切ってはいけないといわれている。切り口が腐りやすく、やがて木全体を弱らせてしまうことになるからというのがその理由である。それに比べて梅はヤニが多いため切り口が腐らず、また新しい枝が出てくる…

腐葉土で上から耕す

腐葉土で上から耕す 2007/4/12(木) 桜の木の下は五坪ほどの独立した庭になっている。砂利が多く混ざり、耕すことができるような土質ではない。そこで以前にも書いたように、庭の剪定枝をガーデンシュレッダーでチップにして撒くようにしている。今回も桜の木…

朝日と桜

朝日と桜 2007/4/12(木) 根尾谷の薄墨桜は、我が家からは北へ約40kmのところにある。植わっている場所は、根尾川の西の小高い山の中腹である。中腹は平らになっており、かつては水田があったが、今は公園として整備されている。 薄墨桜が咲く一週間ほどの間…

連休明けて

連休明けて 2007/5/7(月) 午後 5:03 連休の最後の日にあたる6日は土砂降りの雨だった。その雨も夕方にはほぼ上がって、今日はさわやかな五月晴れである。四月の前半に少し無理をして仕事をしたせいか風邪気味で微熱があった。それでも、アパートの赤芽樫の…

今年のハナミズキ

今年のハナミズキ 2007/5/7(月) 午後 5:24 ハナミズキが大木になり、昨年大きく切り戻してしまった。害虫がつきやすく大木になってしまって防除も難しくなってしまったからである。今年は、ようやく新芽が吹き出してきた程度で寂しい限りである。連休の時期…

No.01 奈良 東大寺南大門

No.01 奈良 東大寺南大門 これから東大寺の参道に入ります。前のほうに大きな山門が見えますね。東大寺の南大門です。南の大きな門と書きます。東大寺の入り口です。この南大門が造られたのは鎌倉時代です。「いいくに造ると幕府建て」、知ってますね。鎌倉…

No.02 奈良 東大寺大仏殿

No.02 奈良 東大寺大仏殿 公開しない 南大門を抜けました。前方に見えてくるのが回廊です。回廊越しに大仏殿のおきな建物が見えます。中央の門は閉じてます。入り口は向かって左の方にあります。 回廊の中の境内の広さには驚きます。若草山の中腹をならして…

800 鎌倉時代の年表

鎌倉時代の年表 1156 保元元 保元の乱1159 平治元 平治の乱1160 永暦元 源頼朝、伊豆へ流される1167 仁安2 太政大臣従一位となる1171 承安元 鹿谷平家打倒謀議はじまる1172 承安2 徳子、中宮となる1177 治承元 鹿谷平家打倒謀議、密告 俊寛ら鬼界が島に流…

800 運慶

運慶 運慶(うんけい、久安4年(1148年)? - 貞応2年12月11日(1224年1月3日))は、鎌倉時代に活動した仏師。 運慶が属する仏師集団は、多く名前に「慶」の字を用いるところから「慶派」と呼ばれる。慶派の仏師は、奈良・興福寺を拠点に活動していた。運慶…

800 鎌倉仏教

鎌倉仏教 1.華開く新仏教 この時代、現在まで続く有力な6宗派の誕生と、それにとどまらず旧仏教の改革者達も改革の枠を超えた新仏教の担い手として多く現れた。日本史上、仏教が最も繁栄した時代の到来であった。 この時代、どうしてこれほどの人物が傑出…

800 鎌倉大仏 起源と歴史

鎌倉大仏 起源と歴史 国宝の銅造阿弥陀如来坐像、いわゆる鎌倉大仏(長谷大仏の異名もあり)を本尊とする寺である。詳しくは大異山高徳院清浄泉寺(しょうじょうせんじ)という。 高徳院は、鎌倉のシンボルともいうべき大仏を本尊とする寺院であるにも関わら…

No.01 デカルト 小場瀬卓三訳『方法序説』から

ケプラーは惑星の運動法則を具体的に確立し、ガリレイは望遠鏡をもちいて天体を観測し、天文学を飛躍発展させた。かれは地球の回転を確言し、この思想をラテン語ではなく俗語、すなわちイタリア語で書くことによって普及させた。・・・それと同じ頃、イギリ…

No.02 村上陽一郎「科学革命」

No.02 村上陽一郎「科学革命」 『概説西洋史』 有斐閣選書 2006/3/12(日) 村上陽一郎「科学革命」木材尚三郎・本間長世編「概説西洋史』有斐閣選書p93 科学的な領域における旧新の理論系の交代を、科学革命と呼ぶ。科学革命は1543年に始まったということ…

No.03 河野健二編 『世界の名著』

No.03 河野健二編 『世界の名著』 <p44> 『プリンキア』にみられるニュートン物理学の方法は、実験事実だけから一般化して原理をたて、この原理から演繹的・論理的に総合的な結果をみちびき、それを実験的に検証するという手続きを根幹としている。この様…

No.04 村上陽一郎 『「キリスト教の自然観と科学』

キリスト教と自然科学との関係を考えるにあたって、両者を対立し合うものとみなす時代はすでに過ぎた。・・・むしろ第一には、キリスト教の一面が、じつは近代合理主義そのものである、という論点にその基本的な様相があり、第二には、それにもかかわらず、…

No.05 フリッチョフ・カップラー『ターニング・ポイント』から

<p75> 今日の西洋文化にあって、いま注意深い再検討が必要とされる世界観と価値体系が、その基本的な輪郭を整えたのは、15世紀と17世紀のことである。・・・13世紀に、トマス・アクィナスは、アリストテレスの包括的な自然体系をキリスト教的な神学…

No.06 T.S.エリオット 『伝統と個人的な才能』

歴史感覚には過去が過去であるということはもとより、過去が現在に生きているという認識がなければならない。歴史的感覚が入にものを書かせるとき、骨の髄まで自分自身の 世代のものであるだけでなく、ホメロス以来のヨーロッパ文学全体とそのヨーロッパ文学…

No.07 山本健吉『エリオットと日本の詩』から

エリオットはこの論文において過去の現在性、現在の過去性に立脚した、伝統論、非個性論を展開している。作品の鑑賞と批評との対象は、作品でなく作者の個性であり、作品はそのための通路にしかすぎない。 作品創造の原動力を個性の中に求めようとするところ…

No.08 今西錦司の進化論

今西錦司 『自然学の提唱』 長い過去を振りかえるととき、私が学問をつづけてきたことは、確かなのであるけれども、ではいったい何学を志向してきたのであるろうか。・・・いろいろのことをしてきたけれども、終始一貫して、私は自然とはなにかという問題を…

No.09 福岡正信の自然農法

No.09 福岡正信の自然農法 2006/3/12(日) 福岡正信『わら一本の革命」 無智 無価(直 無為の自然に還る以外に道はない 一切が空しいことを知れば 一切が蘇る これが 田も耕さず 肥料もやらず 農薬も使わず 草もとらず しかも驚異的にみのった この一株の稲が…

No.10 梅原猛の著作から

梅原猛『生と死の思想』 p383 哲学の問いは生死の問いである。いかに生きるべきか、いかに死ぬべきか、それが哲学が、最初に問うとともに、最後に問うべき問いである。・・・人生とはいったい何であろうか。ひとは何のために生き、そして何のために死ぬのか…

No.11 伊藤俊太郎 『比較文明』から

<p212> たとえばイスラム文明を取り入れても、西欧はデカルトの時代になりますと、機械論というような独自のパラダイム、あるいは自然把握の枠組でもいいが、そういうイデオロギーで、自分たちの科学をつかみますよね。そしてそれが、今度は世界的になりま…