No.10 梅原猛の著作から

梅原猛『生と死の思想』 p383

  哲学の問いは生死の問いである。いかに生きるべきか、いかに死ぬべきか、それが哲学が、最初に問うとともに、最後に問うべき問いである。・・・人生とはいったい何であろうか。ひとは何のために生き、そして何のために死ぬのか。・・・人生の問いはもとより必然的な問いである。人間はだれしも己れの生き方を問いうめる要求をその心の内部にもつ。しかし、かれがこのような要求に支配されるのは、かれの人生が、何らかの形で壁にぶつかったときである。・・・そこで人生はかれにとって謎になったのである。このとき、かれは、真剣に人生とは何かを問う一人の哲学者になる。

 現代文化論をするためには、ルネッサンスの巨人のような万学の知識と同時に、時代の将来に達する神の如き識見を必要とする。・・・万学の知識と、時代に対する識見が、「現代文化論」を書くには必要だと、私は云った。 


梅原猛 『哲学の復興」

 私は、この三十年間の世界歴史の時代を、ヨーロッパが世界の全部ではなく、世界の一部であるということが、はっきり分りはじめた時代で有ると思う。ヨーロッパ文明が世界で唯一のすぐれた文明であるという考えも、今や一つの幻想であることが明らかになりはじめたのである。れれわれは近代ヨーロッパ哲学を、あるいはヨーロパ哲学を唯一の哲学としてでなく、他の哲学と並ぶ一つの哲学として研究すべき時代に来ているのである。

 この際においてわれわれは、ヨーロッパ文明とちがった文明の伝統の下に立つわれらの文明が、全体として何であったかを明らかに知ることが必要とされている。仏教はいったい全体として何であったか。

 私は二つの課題が、今仏教にかんする課題として日本の哲学者に課せられていると思う。一つは仏教というものを、ヨーロッパ哲学全体と同じように、あるいはそれ以上豊かで、さまざまな可能性をもつ思想の流れとしてとらえることである。・・・しかし、そればかりではいけない。・・・仏教がいったい現代の世界に以下なる原理を与えるかという根源的な問いを、哲学(者として問わねばならぬであろう。これについて私はどう答えるべきか、あるいは寛容の原理、あるいは生命の原理、あるいは業としての歴史の原理、私はさまざまな著書にこういう問題について、いくつかの仮説を出しておいた。


「闘論」梅原猛・武内均 徳間書店 p198

 日本の支配者はむこうからやってきて日本を征服したいうのが記紀の伝える伝承なのです。崇神天皇のときに疫病がはやった。天皇は夢にそれが三輪の神のたたりであることを知る。それで三輪の神の子孫のオオタタネコを呼んで、三輪の神を祭らせたので疫病がおさまった。三輪山というのは、少なくとも神話の上では土着民の宗教ですね。土着民の神が侵略者にたたったというわけだ。それを天皇が祭る。それが日本の宗教を解くかぎだ。そういうことを考えると、なぜ怨霊を祭ることが大切にされるかがわかる。怨霊を祭らなければならんということは、数において圧倒的に多い土着民を征服したという日本の歴史に、その根源が求められる。

 

2006/3/12(日)