200日本-20仏教の受容
日本の弥勒信仰 2007/5/11(金) ■弥勒菩薩 (みろくぼさつ)■ 十三仏の六七日導師。半跏思惟像(はんかしゆいぞう)の弥勒菩薩が有名です 。五仏の付いている冠をかぶったり、手に宝塔を持っている姿が一般的です。 サンスクリット語でマイトレーヤといい、慈悲…
22-12 ヒノキ(桧)と松 2006/10/26(木) わが国ではヒノキ(桧)が珍重されてきた。木彫の仏像の素材や寺院の建築にはヒノキが用いられてきた。ところが韓国の建築用材は赤松が中心である。この違いはどこから生じたのだろうか。広隆寺の弥勒菩薩像が赤松で…
22-17 東西軸から南北軸へ まず、「道の意味」ということで二つ問題をお話をしたいと思います。一つは、日本の古い時代の道路というのは、タテの道路とヨコの道路、つまり、東西の道路と南北の道路、どちらが基本的であって、どちらのほうにメインの軸が移動…
広隆寺は京都太秦(うずまさ)にある。この広隆寺に半跏思惟の弥勒菩薩像がある。その優美な姿からわが国でもっとも人気のある仏像である。弥勒菩薩像は奥の霊宝殿に安置されている。制作当時は金箔に覆われていたと思われるが今はすっかり剥落している。学…
22-02 仏教と漢字音 2006/3/4(土) 中国の南北朝時代に、南朝で読文や読経の隆盛があった。時期的にまさに五三八年の「仏教公伝」と重なる。仏教は百済の聖明王が日本に伝えたとされるが、百済は北朝よりも南朝と親密な関係にあった。朝鮮半島の北部にあった…
22-04 仏教公伝でもたらされたもの 2006/10/26(木) ■ 公伝の年次 日本に仏教が公伝された経緯についての記述から、公伝によってどのようなものがもたらされたのかを知ることができる。 【戊午年説(538年説)】1-1 『元興寺伽藍縁起併流記資財帳』 「大倭国…
22-05 わが国最初の仏塔 2006/10/26(木) 仏教の移入に蘇我氏が果たした役割はよく知られている。仏教が公式に伝来したとされているのが538年。蘇我稲目(?~570年 大臣 536~570年)の代のことである。この伝来によって天皇が仏教を奉ずることにはならなかっ…
22-05 法興寺(飛鳥寺)の建立 2006/10/26(木) 法興寺(飛鳥寺)は百済からの派遣技術者の指導によって、596年11月に完成した。中央の塔の周りに中金堂、東金堂、西金堂を配した一塔三金堂式と呼ばれる配置の壮麗な伽藍だった。 日本書紀によれば、崇峻天皇…
22-06 日本書紀 α群とβ群 2006/10/26(木) 養老4年(720)に完成した『日本書紀』30巻は、わが国最古の勅撰の国史で、いわゆる六国史の最初に当たる歴史書である。神代から持統天皇の時代までの出来事を、漢文により編年体で記している。 日本書紀は、歌謡の…
22-07 「記紀万葉」の時代 2006/10/26(木) 「記紀万葉」というのは、『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』の総称である。「記紀万葉」は日本で最も古い時代の本の代表であろう。しかし最も古い本はということになると、『三経義疏』を挙げなくてはならない…
22-08 寺院建築 塔から金堂重視へ 2006/10/26(木) 飛鳥時代に建立された寺には三重の塔や五重の塔がある。寺院には、塔の他に、金堂や講堂がある。金堂には仏像が安置されている。講堂は集会して仏教を学ぶところである。この時代には、金堂よりも塔が重要視…
日本に仏教が公式に伝わった欽明天皇7年(538)から孝徳天皇の大化元年(645)までを飛鳥時代と呼んでいる。飛鳥時代は仏教の公伝とともに始まった。仏教公伝の年については、日本書紀には、欽明天皇13年(552)と記されているが、「元興寺伽藍縁起并流記資…
22-10 飛鳥時代の仏像 2 2006/10/26(木) 飛鳥寺の建立以降、聖徳太子が推古天皇の摂政となり、仏教文化を積極的に取り入れたことから、仏教は益々隆盛の一途をたどった。推古十五年(607)頃、太子が斑鳩の宮の隣に法隆寺を建立してからは、皇族や貴族の間で…
22-11 白鳳仏の輝き 2006/10/26(木) 奈良市の西の方に「西ノ京」といわれるところがある。西大寺、秋篠寺、唐招提寺、薬師寺などの寺院が並ぶ。奈良市に比較的近いところに薬師寺がある。奈良時代に建立された寺院である。薬師寺は数度の災害と1528年の兵火…
22-13 韓国の松と日本の桧 2006/10/26(木) 松の話をもう少し続けることとする。松を彫刻や建築の用材として考えるのは少し疑問があるかもしれない。「松の木は割れやすくまっ直ぐな長い材木が少なく、また松脂(まつやに)が多いため加工性は低く、加工した…
22-14 新暦と旧暦 2006/10/26(木) 旧暦は太陰太陽暦(たいいんたいようれき)ともいう。太陰暦を基にしつつも、閏月を挿入して実際の季節とのずれを補正した暦である。日本では、明治6年1月1日(旧暦明治5年12月3日)に太陽暦(新暦)が採用され、現…
22-15 右前(うじん) 2006/10/26(木) 養老3年(719年)に左前(さじん)を改めて右前(うじん)とすることが法令で定められた。左前、右前というのは衣服の襟の合せ方である。右を下(手前)にする着方を右前という。今日でも和服は右前に着る。それまでの…
22-18 大陸思想の摂取1 文字と帰化人 2006/10/27(金) 聖徳太子の時代に大陸からの文化や思想がどの程度摂取されていたのかについてまとめて記述されているものは少ない。下記のサイトは、検索エンジンでたまたま見つけたものであるが、よくまとめられている…
22-19 大陸思想の摂取 2 儒教思想 2006/10/27(金) ■ 儒教思想の伝来 儒教の伝来については、有名な王仁(わに/おうじん)の伝説がある。これは西文氏の祖先に関する伝えであって、『古事記』・『日本書紀』の記事を綜合すると、応神天皇のときに百済の肖古王…
22-20 大陸思想の摂取 3 陰陽道 2006/10/27(金) ■ 陰陽道(おんようどう) 陰陽道は、陰陽の二気と木火土金水の五行の相互関係によって天文・自然などの諸現象を説明する、いわば素朴で非科学的な自然科学であるが、この陰陽五行説にもとづいて『易経』を占…
22-21 大陸思想の摂取 4 仏教 2006/10/27(金) ■ 仏教思想 仏教が初めて正式に朝廷に伝えられたのは、やはり六世紀の前半、欽明天皇のときで、百済の聖明王が使を遣わして、金銅釈迦仏像一体と幡・蓋と経論を献ったという。周知のように、『日本書紀』には同…
■ 高句麗から倭国への仏教支援 飛鳥時代、聖徳太子の師となった慧慈をはじめとして、複数の高句麗僧が我が国に来朝している。彼らは個人の意志で来朝したのではなく、高句麗の外交政策の一環として送り込まれた人たちであるが、我が国の仏教の発展に大きく寄…
22-24 風水 2007/3/24(土) ■ 皇都と風水 皇都のばあいは「四神相応の地」(『和漢三才図会』)がもっとも理想的とされる。四神とは四種の霊獣のことであるが、これを地形でいえば、東に河川(青龍)、南に沼沢(朱雀)、西に大道(白虎)、北に高山(玄武)…
22-25 言霊思想と仏教の受容 2007/4/11(水) 仏像が成立したとされるのは、紀元一世紀の頃とされている。仏像はクシャン朝の版図であった、ガンダーラやマトゥーラで製作され始めた。しかし、経典の成立時期については明らかではない。明らかでないというより…