22-17 東西軸から南北軸へ

22-17 東西軸から南北軸へ

 まず、「道の意味」ということで二つ問題をお話をしたいと思います。一つは、日本の古い時代の道路というのは、タテの道路とヨコの道路、つまり、東西の道路と南北の道路、どちらが基本的であって、どちらのほうにメインの軸が移動したか、そういう問題を少しお話をしてみようと思うわけです。

 つまり、タテとヨコという言葉は日本語であるわけですが、恐らく、タテがメインで、ヨコがサブであると思います。横着なやつであるとか、横道に逸れるとか、横しまなやつと言いますから、横は悪い意味で使われていることが多いと思います。

 『日本書紀』では、タテとヨコの道を使って行政区画を定めた、というような記事があります。その『日本書記』の1行目のおしまいのほうに、「東西を日縦(ひのたたし)とし、南北を日横(ひのよこし)とする」こういう表現があります。つまり、東西がタテであって、南北がヨコであるというふうに古代は見ていた。・・・

 これは恐らく、太陽というものを日本のコスモロジーにしたときの名残であろう。太陽の運行というのは、東から上って西に沈むわけですから、それが「タテ」であろうということになったんではないかと思います。

 ところが地図をごらんいただきますと、メインの東西の道があって、北のほうを「北の横大路」、南のほうにもやはり東西に「横大路」、こういう地名があります。そうすると、東西がヨコの大きな道となっているわけです。ところが『日本書紀』では、むしろ東西がタテである。タテヨコの観念というものがある時期に変換をしている、そういうことが言えるのではないかと考えるわけです。

 これは恐らく日本の太陽を中心としたコスモロジー、例えば天皇のことを日の御子(みこ)、太陽のプリンスという言い方をします。つまり太陽というものが非常に重視されてきた。
 ところが、中国の1つのコスモロジーが日本に入ってまいります。中国のコスモロジーというのは、基準になるのが「北極星」であります。「北」が優位な方位になるわけです。だから、天子は北から南を向くわけです。そういたしますと、南北軸というものがむしろ縦になってくる。

 ですから、地図にお示ししているように、東西軸が横になってしまって、「横大路」というふうな言葉が使われてきて、現在でも「横大路」という言葉を我々は道路に関して使います。「横大路」という言葉が文献の上で出てくるのは、やはり鎌倉時代くらいで、古代の文献では出てまいりません。
 そういうふうにタテとヨコの道に関する見方の変換というのが、日本固有の文化から中国の文明が入ってきた段階であったということが1点であります。

引用・参照
 千田 稔『道の意味について』第2回「道と文化を語る懇談会」議事抄録での発言より 平成12年
 http://www.mlit.go.jp/road/road/bunka/no2/kiroku2.html