21-07 奈良盆地を囲む山

21-07 奈良盆地を囲む山

2006/10/26(木)

 
 若草山から奈良盆地が一望できる。眼下に東大寺の大仏殿や興福寺五重塔、少し遠くに平城京の旧跡が見える。中央部を横切るように大和川が東から西へと流れていく。その南を見ると畝傍、耳成、香具山の大和三山がかすかに見える。

 正面の真西に遠く見える山地が生駒山地である。生駒山地の主峰、生駒山の標高は642m。生駒山地の南に金剛山地金剛山地は北の二上山(にじょうざん)から始まって葛城山(かつらぎやま)、金剛山と続く。葛城山の標高は959.7m、金剛山は1125m。奈良盆地の西は、生駒山地金剛山地が南北に連なって奈良盆地大阪平野を分けている。生駒山地はそそり立つような山であり、山上から西を見下ろすと大阪平野が一望の下に見渡せる。山地にはいくつかの峠があり、この峠道で奈良盆地大阪平野が結ばれている。また、生駒山地金剛山地の間が峡谷となって大和川大阪平野へと流れでている。

 平城山丘陵は平城京の跡地の北に広がる丘陵地帯で、京都盆地との境となっている。目を南にうつすと、奈良盆地の南にはるかに吉野山地の峰々が見える。吉野山地の峰々は1000mを越える。吉野山地の北に近いところに吉野川が東西に流れている。吉野山地の水を一手に集め、下流で紀ノ川となって和歌山市のところで紀伊水道に注ぐ。吉野川中央構造線に沿ってできた川で、大きな川である。古代から、この川沿いの道が開発されてきた。

 飛鳥からは南の高取山を越えると吉野川に出る。蘇我馬子の墓といわれる石舞台古墳の傍らから入り、稲淵、柏森の集落を過ぎると芋が峠に出る。この道は飛鳥川に沿った道でもある。峠を下ると吉野町に出る。川の対岸は吉野山の上り口である。奈良時代吉野川沿いに開けた道を利用して、伊勢神宮への近道も開かれていた。

 若草山笠置山(かさぎやま)の一つの峰である。笠置山奈良盆地の南まで続いている。その南に三輪山がある。笠置山は大和高地の西の端の山である。奈良盆地の西にはこの大和高地、そして室生火山群の高原が三重県にかけて広がっている。大和高地を横断して作られたのが名阪国道である。室生火山群の東の端が青山高原である。その向こうには伊勢湾が広がる。

 室生火山群には名張盆地がある。奈良時代まではこの名張盆地を通って三重県の久居市へ出る東西の道が利用されていた。三輪山の南を大和川の上流である初瀬川に沿って上ってゆくと榛原で西峠に出る。このコースは、大きな山を越さないで東へ出られる唯一のコースである。この道を西に向かうと耳成山の南へ出る。さらに西に向かうと二上山の南で竹内峠に出る。飛鳥時代は三輪や飛鳥と東西を結ぶ重要な官道であった。

 西峠を越えると名張盆地への長い下りの道に入る。右手の山の向こうには人造湖に室生湖がある。この一帯は宇陀川の水系である。宇陀川は木津川の上流である。木津川はこの名張盆地と北の上野盆地の水を集めて、京都と奈良の県境を通って、京都盆地に流れ出ている大河である。京都盆地には、宇治川桂川も注ぎ込んでいる。宇治川は琵琶湖から流れ出ている瀬田川を上流とし滋賀県境の山々の水を集めて注ぎ込む。桂川中国山地の山々に深く分け入っている。

 京都盆地に注ぎ込む川は山の奥にまで入り込んで水量が豊かである。それに比べて、奈良盆地大和川の支流の奥は浅く、水量が安定しない。桜井浄水場の水源はこの室生ダムである。もう一つの御所浄水場の水源は吉野川である。奈良盆地の水道水の水源が盆地の外部にある。

 東西に長い名張盆地を過ぎると、青山高原に出る。青山高原を越えると三重県の久居市である。ここを走っている国道が165号線である。この165号線に沿って近鉄大阪線が走っている。現在、165号線は大阪市を基点とし、三重県の津を終点としている。前述したように飛鳥・奈良時代のもっとも重要な官道であった。

 現代でも、名阪自動車道が開通するまでは、奈良と東西を結ぶ重要なルートであったと思われる。長谷寺は三輪から入った辺りにあり、室生寺はこの西峠から名張盆地に下る途中にある。