22-01 広隆寺の弥勒菩薩像

 広隆寺は京都太秦(うずまさ)にある。この広隆寺に半跏思惟の弥勒菩薩像がある。その優美な姿からわが国でもっとも人気のある仏像である。弥勒菩薩像は奥の霊宝殿に安置されている。制作当時は金箔に覆われていたと思われるが今はすっかり剥落している。学生時代に入院をすることになった。図書館で借りてもっていった写真集に弥勒菩薩の写真があった。横顔の写真の眼差しに惹かれ、何度も眺めていた。そのときに、頬の木目模様とひび割れの入り方が何か印象的だった。今から考えれば、見慣れた桧(ヒノキ)の木目模様やひび割れの具合との相違に気づいたと思わる。このことはすっかり忘れていた。

 ところが、1983年に韓国へ行ったときに、ソウルの景福宮を訪れた。景福宮は朝鮮王朝が都をソウルへ遷都した初期に建設された宮である。現在の建物の多くはは再建されたものである。中心をなすのは現存の木造建築物で最大といわれる勤政殿。その奥の池の手前の宮殿の柱を見ていて突然この記憶がよみがえった。柱は赤く塗られていたが、その木目といい、ひび割れ方といい、まさに広隆寺弥勒菩薩のものではないか。柱は赤松であった。朝鮮には桧はほとんどなく、建築用材としては赤松が多く用いられている。

 広隆寺弥勒菩薩像は飛鳥時代の作と伝えられている。当時の木彫の仏像の多くは楠(くすのき)が用いられている。楠が柔らかくて彫刻に向いていたこともあるが、独特の香りが神聖とされたのだろう。奈良の法隆寺の奥に中宮寺がある。そこにも弥勒菩薩像がある。こちらは楠が用いられている。表面は漆黒で覆われて木目などはよく見えない。飛鳥時代の仏像としては広隆寺弥勒菩薩だけが、赤松が用いられている。今日では、これを根拠に弥勒菩薩は朝鮮渡来の仏像とされている。

 弥勒信仰というのは、三国時代百済新羅で盛んに信仰されていたようだ。日本での弥勒信仰というのは余り知られていない。が、京都の南にある醍醐寺弥勒菩薩坐像がある。鎌倉時代の快慶の作のあでやかな仏像である。

(写真は広隆寺の霊宝殿。中に弥勒菩薩像が収められている。)