52-05 景福宮(けいふくきゅう)

52-05 景福宮(けいふくきゅう)

2006/3/19(日)


 午前中を中央博物館で過ごした。それでも、ゆっくりと観られたのは仏像のコーナーだけである。慶州の古墳からの出土物や高麗青磁白磁のところも興味はあるが、集中力が続かない。昼食を済ませてから、景福宮へ行くこととした。博物館の内部に韓食のレストランがあった。選んだメニューは、ビビンバ。ビールも頼んだが、ウェイターが怪訝な顔をしている。後で知ったが、こうした普通のレストランには酒類がおかれてないようである。

 道路に出てタクシーを探す。ソウルはタクシーがどこでも簡単に拾える。タクシーに乗って「キョンボックン」と告げる。「キョンボックン」は景福宮の韓国語読みである。タクシーの車内に、通訳が必要な場合は運転手に「interpreter」と告げるように日本語、中国語、韓国語で表示されていた。タクシー無線を利用する方法のようである。

 無事に景福宮についた。どうやら私の韓国語が通じたようである。東の建春門の前で降ろされた。以前に来たときは、バスでこの門から入っていった。中からリズミカルな太鼓の音が聞こえる。14時の衛兵の交替式であった。李朝時代の士族の服装でひげをはやし、旗をなびかせての交代式は壮観である。正面にあった、かつての朝鮮総督府の建物が1996年に撤去されてから復元の工事が進み、景福宮は往時の姿を取り戻しつつある。

 南の正門が光化門で、衛兵はそこに立つ。その内側に興礼門。さらに勤政門をくぐるとようやく景福宮の中心的な建物である勤政殿の敷地に出る。勤政殿はひときわ大きな建物である。文武百冠の朝賀、即位式、外国からの使臣の接見などの国家儀式などに用いられた。

 勤政殿の西門から出ると、先ず眼にとまるのが慶会楼である。主に迎賓館として使われた建物で優美な姿をしている。池の中に打ち込んだ何本もの石の柱の上に建てられ、背後の北岳山が借景として取り込まれている。池の水面には美しい姿を写している。

 その手前にあるのが修政殿である。修政殿は特別注目される建物ではない。しかし、私にとっては思い出深い建物である。『○No.03 広隆寺弥勒菩薩像』で述べた建物の柱はこの柱である。場所を誤解していたようである。勤政殿の左奥であった。しかし、柱には朱の塗料が厚く塗りなおされ、細かな木目は見られない。

 あきらめて、勤政殿の奥の建物に入ってゆく。そこにも、塀に囲まれた建物がいくつもある。中心は、王后の寝殿のあった公泰殿であろう。この辺りにくると、柱の塗装が古くなっていて赤松の柱の微妙なひび割れと木目が浮き出て見える。もう弥勒菩薩は現れはしなかったが、十分に満足できた。

 案内所で景福宮のパンフレットをいただいた。上記の説明はこのパンフレットを参考にした。さらにソウルの地図もいただいた。「ソウルのもあったら」くださいといったら、「ソウルのマップ」ですね、にっこり笑って渡していただけた。