2019-12-07から1日間の記事一覧

200-25-01 「幽玄」と力強さ

数年前、有名な観世流の能楽師の津村礼次郎先生のお話を聞く機会がありました。そのとき、「幽玄」というのはどういうことでしょうかと、お聞きしたことがあります。今から思えばずいぶん大胆な質問だったと思います。しかし、すかさず「力強さです」という…

200-25-02

25-02 宇治の平等院の朝 2006/1/17(火) 午前 9:31 --25 仏教と日本文化 練習用 facebookでシェア twitterでつぶやく イメージ 1 イメージ 1 8月15日、旧盆の日の早朝、京都洛南の宇治の平等院に出かけました。平等院に着いたのが朝の5時頃で、日の出前で…

200-25-03

25-03 葬式と仏教 2006/1/27(金) 午後 6:29 --25 仏教と日本文化 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく 今日の日本では葬式に仏教は欠かせない。お通夜と告別式、後の法事までほとんどが仏式で行われる。東アジアの仏教圏で葬式と仏教がこれだけ深く結び…

25-04 仏像が輝くとき

25-04 仏像が輝くとき 2006/2/3(金) 古色蒼然たる仏像を私たちは見慣れている。奈良斑鳩(いかるが)の中宮寺と京都太秦(うずまさ)の広隆寺に弥勒菩薩像がある。飛鳥時代に日本あるいは朝鮮で製作されたものである。現在では、いずれも表面の彩色はすっか…

200-25-05

25-05 デジタル技術と復元 2006/2/4(土) 午前 3:54 --25 仏教と日本文化 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく 奈良の唐招提寺では、平成12年5月から金堂を中心とした大規模な修復事業が始まっている。金堂の柱に寄りかかって往時の姿を偲ぶ楽しみはなく…

200-25-06

25-06 色彩の再現 2006/2/4(土) 午前 4:09 --25 仏教と日本文化 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく 最近のCG(コンピューターグラフィックス)の技術の進展には著しいものがある。その技術を駆使して仏像や寺院の元の色彩を再現する試みが多くなさ…

200-25-07 ねがわくは花の下にて・・・ 旧暦と新暦

忠臣蔵の討入が行われたのは元禄15年12月14日である。江戸は一面に雪に覆われ、雪の中の討ち入りのシーン、首尾を遂げて泉岳寺に向かうシーンは印象的である。ところが現代では12月の東京に大雪が降るのは稀なことである。 冬の気圧配置が典型的な西高東低の…

200-25-08

25-08 宇治川の戦い 2006/2/21(火) 午前 5:55 --25 仏教と日本文化 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく 京都から奈良に向かう。東寺の五重塔を右手に見ながら国道1号線に入る。名神高速道路の京都南インターを抜ける頃になると辺りに畑や田が散在する…

200-25-09

25-09 大仏 2006/2/24(金) 午前 6:32 --25 仏教と日本文化 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく 仏像には標準の大きさがある。丈六(じょうろく)という。一丈六尺のことであるがメートルに直せば、約4.8mになる。お釈迦さまの身長は常人の倍あったとい…

25-10 鎌倉の大仏

25-10 鎌倉の大仏 2006/2/24(金) 7月の初旬の暑い日、鎌倉を訪れた。小学校の修学旅行以来の久しぶりの訪れである。仕事の関係で前日横浜で宿泊した。鎌倉が近いということで寄ることとした。大仏のあるお寺は高徳院浄泉寺という。山門から入ってなだらかな…

200-25-11

25-11 能面のような顔 2006/2/25(土) 午前 4:44 --25 仏教と日本文化 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく 「能面のような顔」という言い方がある。表情のない顔を形容する表現で、誉め言葉ではない。しかし、能面のような顔と言われるには若くて美人で…

200-25-12

25-12 伽羅沙(ガラシャ) 2006/2/25(土) 午前 5:09 --25 仏教と日本文化 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく 散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ 熊本市の中心より北に位置する立田山の山麓に立田自然公園がる。そこは細川家の菩提…

25-13 虎渓山永保寺の「三笑橋」

25-13 虎渓山永保寺の「三笑橋」 2006/2/25(土) 虎渓山永保寺は東濃の多治見市にあり、自宅からは車で約一時間の距離である。虎渓山永保寺は室町時代の初期の乱世に活躍した夢想国師が開創した禅寺である。夢想国師は、京都の竜安寺、西芳寺(苔寺)、天竜寺…

200-25-14

25-14 『宇治十帖』 2006/2/25(土) 午前 6:08 --25 仏教と日本文化 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく 宇治の平等院に鳳凰堂(阿弥陀堂)がある。昭和26年から10円硬貨の裏に鳳凰堂の図柄が用いられている。鳳凰堂の中央の建物(中楼)に、仏師定朝…

200-25-15

25-15 やがて悲しき 2006/3/1(水) 午前 7:02 --25 仏教と日本文化 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな 芭蕉が岐阜を訪れ、長良川で鵜飼を見たときに詠んだという句である。鵜飼が終わったあとの寂しさ、侘しさを詠っ…

200-25-16

25-16 夢幻能 2006/3/1(水) 午前 7:10 --25 仏教と日本文化 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく 『七人の侍』は、黒澤明監督の映画である。忘れられないシーンがある。侍の一人が野武士の動きを偵察にゆく。彼は野武士たちの気配を小高い山の向こうに…

200-25-16

25-16 夢幻能 2006/3/1(水) 午前 7:10 --25 仏教と日本文化 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく 『七人の侍』は、黒澤明監督の映画である。忘れられないシーンがある。侍の一人が野武士の動きを偵察にゆく。彼は野武士たちの気配を小高い山の向こうに…

200-25-17

25-17 お彼岸と祖霊信仰 2006/3/10(金) 午前 2:04 --25 仏教と日本文化 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく まもなく、春分の日がくる。春分の日を中心として前後一週間が彼岸である。春分の日は太陽が真西に沈む。そういえば、三月に入ってから夕日が…

200-25-18 薬師寺と法相宗

25-18 薬師寺と法相宗 2006/3/11(土) 以前、このブログで薬師寺と法相宗のことを書いた(”○No.12 薬師寺と三蔵法師玄奘”を見てください)。ちなみに、「No.」の前についている、○、□、@などは、書庫の区別を解りやすくするための記号です。□は「敦煌紀行」 …

200-25-19 阿弥陀仏像の変容

25-19 阿弥陀仏像の変容 2006/3/14(火) 一.我が国における阿弥陀信仰の始まり わが国における阿弥陀信仰は、釈迦信仰や薬師信仰、弥勒信仰、観音信仰と共に、その歴史は古く、しかも今日にいたるまでひろく、かつ強い命脈を保ってきた。阿弥陀仏は大乗仏教…

25-20 阿弥陀仏 メモ

25-20 阿弥陀仏 メモ 2006/3/14(火) <阿弥陀仏の三尊像と独尊像> 阿弥陀三尊像は観音と勢至菩薩を両脇侍(わきじ、きょうじ)とする阿弥陀仏像をいう。これは無量寿経に説くところで左の蓮座(向かって右)に観世音菩薩、右の蓮座に勢至菩薩、その宝冠の中…

25-21 一粒のケシの種

25-21 一粒のケシの種 2006/3/24(金) これも忘れられない話の一つです。たまたま、インターネットで再発見しました。 インドのある村に、若いお母さんと、ご主人と、子どもがなかよくいっしょに、くらしていました。やっと、よちよち歩きをはじめた子どもは…

25-22 日本と朝鮮の食生活

25-22 日本と朝鮮の食生活 2006/4/1(土) 以下は、引用であるが、仏教と肉食の関係、キムチと唐辛子の関係に触れているので引用してみた。 人間の基本生活条件である衣・食・住のうちでも食は最も基礎的な条件であり、また、最も地域個性が著しいものでもある…

200-25-23 普賢菩薩

25-23 普賢菩薩 2006/4/7(金) 所用があって東京へ行ったので、上野にも寄った。上野の東京国立博物館の平成館では『最澄と天台の国宝』展を開いていた。天台開宗1200年を記念しての特別展である。昨年の11月には京都国立博物館で開いていた。そのときに…

25-24 大日如来坐像との出会い

25-24 大日如来坐像との出会い 2006/4/7(金) 上野の東京国立博物館の平成館で『最澄と天台の国宝』展を見ている。休憩コーナーの窓から見える桜は半ば散ろうとしている。天台宗は、円仁、円珍以後、密教化する。したがって、展示会には密教の仏像も並んでい…

200-25-25

25-25 博物館の写真撮影 2006/4/9(日) 博物館で写真撮影ができるとは思っていなかった。ところが、先日韓国の国立中央博物館では写真撮影ができた。そこで、上野の国立東京博物館も調べてみたらできそうである。本館で職員の方に尋ねたら、原則としては自由…

200-25-26 槿(むくげ)

25-26 槿(むくげ) 2006/6/5(月) 槿(むくげ)が咲いている。芙蓉やハイビスカスと同じ葵科に属する花だが、地味な花である。芭蕉に木の句がある。 道の辺の木槿(むくげ)は馬に食はれけり 立石巌氏はこの句について次のように解説している(『西行・世阿…

24-06 薬師寺と三蔵法師玄奘

24-06 薬師寺と三蔵法師玄奘 2006/10/17(火) 昭和42年に故高田管主は薬師寺白鳳伽藍復興を発願した。この発願はこの2003年3月の大講堂の復興によってようやく達成された。今日では、薬師寺は往時の姿をを取り戻している。 薬師寺は、680年に創建された法相宗…

200-25-13

No.13 室戸岬と『濤声(とうせい)』 2006/10/25(水) ※再録 朝まだ暗いうちにホテルを抜け出した。海から昇る日の出の写真を撮るためである。二月末であったが室戸岬の海岸に吹き付ける風は寒くはなかった。室戸岬は空海の修行したところである。徳島に用事…

25-14 遣唐船の構造

25-14 遣唐船の構造 2006/10/25(水) ※再掲文です。 最初の遣隋使の派遣は、607年。このときのルートは朝鮮半島を経由するものであった。このとき渡航に用いられた船は、準構造船といわれる比較的簡単な造りの船であった。丸太をくりぬいた丸太舟を基本にして…