52-03 韓国ソウルの国立中央博物館

52-03 韓国ソウルの国立中央博物館

2006/3/19(日)


 安東の訪問という旅の目的を終えて、16日の夜にソウルへ戻った。同行し友人には、ホテルまで送ってもらい、一人旅にもどった。17日は終日ソウルの市内観光にあてた。午前中は昨秋新装成った国立中央博物館、午後は京福宮と、一人旅ならではのゆっくり、ゆとり旅である。

 宿泊はプレジデントホテル。市庁舎のすぐそばである。国立中央博物館はかつて、京福宮の中のかつての朝鮮総督府の建物にあった。その頃に京福宮を訪れたことがあるが、建物のいかめしさに圧倒されて中に入ることができなかった。朝鮮総督府の建物は終戦50周年を迎えたときに取り壊されて、博物館も移転し、昨秋、新装オープンした。

 地下鉄やバスでは迷子になりそうで、タクシーを利用する。ホテルのフロントでハングル文字で行き先を書いてもらい、道路に出てタクシーでたどり着いた。どでかい。これが第一印象である。広大な敷地に広大な建物が建っている。

 少し早かったので、広い庭をゆっくり歩いてゆくと、ちょうど9時の開館時間になった。目的は、三階の仏像彫刻のコーナーである。そこには、あの金銅製の弥勒菩薩像もある。一人旅の身の軽さで、先ず三階にいった。これまで写真でしかみたことのない仏像が所狭しと並んでいる。弥勒菩薩像は、それらの仏像とは別の部屋に安置してあった。係員に尋ねてようやくその場所がわかった。

 弥勒菩薩像は部屋の中央の小高いところにおいてあり、側面も背面もみることができる。部屋は暗く照明の明かりもわずかだが眼は次第に慣れてくる。思っていたより一回り小さい。三国時代の作であるが、新羅百済のいずれで作られたのかは説が分かれている。これほど、有名な像であるが。発掘の場所がいまだに定かでない。

 確かに京都太秦広隆寺弥勒菩薩像とよく似ている。いや、そっくりである。ただ、顔の表情には違和感を感ずる。広隆寺弥勒菩薩像は先に述べたように、赤松でできていることや、韓国にあるこの金銅製の弥勒菩薩像との類似性などから、朝鮮からの渡来仏であるとされている。仏像美術研究家の久野先生の話だと、広隆寺弥勒菩薩像は明治の修理の際に、日本的な表情に変えられたのではないかということである。

 ご婦人のガイドさんの説明もそのような話であった。この部屋の入り口に書いてある説明の表現はさらに抑えた記述がされていた。広隆寺弥勒菩薩が金銅の弥勒菩薩像に酷似しているのは、朝鮮の仏像文化が日本の仏像文化に影響したことを示している、というような表現であった。

 このガイドさんは博学で一般の仏像についても詳しい説明をしていただいた。三国時代高句麗新羅百済の仏像もそれぞれ、数点ずつが並べられていた。ガイドさんの説明でしだいにそれぞれの特徴が見えてきた。開館間際で人の少ないときだったから許されたのかもしれない。聞けば、ガイドの仕事はボランティアだとのこと、また、私の住んでいる岐阜市の近くにもこられたことがあるとのことだった。