22-02 仏教と漢字音

22-02 仏教と漢字音

2006/3/4(土)


 中国の南北朝時代に、南朝で読文や読経の隆盛があった。時期的にまさに五三八年の「仏教公伝」と重なる。仏教は百済聖明王が日本に伝えたとされるが、百済北朝よりも南朝と親密な関係にあった。朝鮮半島の北部にあった高句麗と対立関係にあったからである。そのため、百済には南朝系の仏教が入っていた。

 南朝で用いられてきた漢字音を「呉音」という。三国時代の呉の国の漢字音に由来するからである。梁の時代には、慧遠(えおん)・法雲(ほううん)・僧印、隋の嘉祥(かしょう)などの『法華経』読誦の名人が輩出した。宋・斉・梁・陳の四王朝をまとめて南朝(四二〇~五八九)と呼ぶが、遼は南朝の三番目の王朝である。仏教とともにもたらされた漢字音は、呉音であった。
 
 六〇七年に小野妹子(おののいもこ)が遣隋使として派遣されて以降、遣唐使に引き継がれて、八九四年に廃止されるまで、日本には北方の長安の都の漢字音が伝えられた。一般に、この長安で行なわれた北の漢字音を「漢音」という。桓武天皇延暦十一年(七九二)十二月および同十二年四月の詔勅で漢音を正音と定めた。

 天皇の度重なる漢音奨励は、中国という強大な統一国家の首都の音にならい、国際化を図ろうとした国家の言語政策であった。しかしそれでもなお、信仰は、梁の時代を一つのエポックとして呉音を記憶し続けたのである。

引用・参照文献
 清水真澄 『読経の世界』 吉川弘文館(p62)