No.05 ブックロード

No.05 ブックロード

2006/1/18(水)


 帰宅してから気がついた。西安長安)は隋や唐の時代の首都であった。当然ながら、遣隋使や遣唐使の目的地でもあった。シルクロードにばかり関心がいっていて、すっかりそのことを忘れていた。西安市内には、興慶宮公園の安倍仲麻呂記念碑や青龍寺空海記念碑などがあるとのこと。仏教の勉強にとって仏教美術の知識が欠かせないことを教えてくれたのは空海であった。

 成田から西安までの飛行時間は3時間半であるから、およそ3000kmの距離である。海を渡るのも大変であったが、上陸してから西安までの旅はさらに大変だっただろう。空海の乗った遣唐船は途中嵐にあい大きく航路を逸れて福州長渓県赤岸鎮(福州市は福建省省都)に漂着。空海の一行はそこから長安に辿りつくまでに一ヶ月半以上を要している。空海はこの船団の第一船に乗っていたのだが、最澄も第二船に乗っていた。

 シルクロードの東の端は日本の奈良であるという説がある。シルクロードを通じてはるか地中海方面からもたらされた文物が正倉院に伝えられているからである。しかし、日本が中国に求めたのはシルクではなかった。遣隋使のメンバーには留学僧や留学生が多くを占めてきた。また、彼らは学んだ知識とともに、さまざまな書物も多く持ち帰った。先進国中国の文化や技術を必死に求めていたのである。そのため、長安と奈良を結ぶルートをブックロードという人もいる。

 長安から西へのシルクロードも単にシルクのみを運んでいたのではない。それは仏教東漸の道でもあった。ブッダロードいう呼び方をする人もある。このブッダロードを仏教がどのように伝播してきたのか、が今の私が興味を持っているところである。

(写真は西安の西の門からの風景。彼方は西域である。)