No.06 駱駝(らくだ)

□No.06 駱駝(らくだ) 2006/1/19(木) 午後 3:12 --49 旅その他 歴史 facebookでシェア twitterでつぶやく イメージ 1 イメージ 1  駱駝(らくだ)は到る所にいた。旅の三日目、トルファンの高昌故城(こうしょうこじょう)で初めて間近に見ることができた。駱駝の目は砂塵を避けるため、長い睫毛(まつげ)で保護されている。その睫毛のせいであろうか、つぶらな瞳をしており、顔も愛くるしくみえる。  高昌古城は499年に成立した麹氏高昌国の都城の跡である。三蔵法師玄奘も629年の9代麹文泰のときに立ち寄り庇護を受けている。火焔山の近くにある。遺跡の崩壊は激しく、まともに残る建物はなく土塊のようなものが続くのみである。  高昌故城は、周囲1.4kmの広い遺跡で、中心部まではロバの馬車で行く。ロバは黙々と馬車をひっぱているが、道は未舗装のでこぼこ道でときどき鞭を当てられていた。そのせいかどこか面倒くさそうな表情をしている。駱駝はその終点にいた。駱駝に乗ることもできのだろう。  ウルムチからトルファンまでは高速道路があってバスで三時間弱の距離である。途中は砂礫のゴビタンが続くが、ところどころで駱駝が放し飼いにされていた。駱駝草という潅木が生えている。駱駝の好物かと思っていたが、ガイドさんの話によると、駱駝の好むものではなく、他に食べるものがないときにやむを得ず、食べるにすぎないとのこと。  駱駝は一日に35km程度の速度で進み、一頭当り150kg程度の荷物を運ぶことができる。かつてはシルクロードの重要な交通手段であったが、自動車が普及するにつれてその重要性は減ってきた。  この辺りの駱駝はすべてふたこぶ駱駝である。聞いてみると、ふたこぶ駱駝は寒さに強いがひとこぶ駱駝は寒さに弱い、ということで、南北に棲み分けができているとのことある。アラビアのロレンスが乗っていたのはひとこぶ駱駝である。  駱駝は敦煌の月牙泉(げつがせん)にもいた。月牙泉の一帯は流砂の砂漠である。敦煌の一帯はほとんど砂礫の砂漠であるが、月牙泉の一帯だけは流砂の砂漠となっている。そこにも駱駝はいた。  トルファンへのバスの中で駱駝の足の裏の肉が美味で珍重されているという話を聞いた。敦煌研究院での食事にそれが出てきたのである。皿の上にきくらげをゆでたようなものが盛られている。タレをつけて食べるとのこと。感触も味もきくらげのようであった。 (写真は、高昌故城の中から火焔山を写したものと月牙泉での駱駝)