2019-12-05から1日間の記事一覧

11-13 五世紀前半に漢訳されたとされる禅観経典

11-13 五世紀前半に漢訳されたとされる禅観経典 五世紀前半、中国では「観仏三昧」を説く禅観経典が数多く漢訳された。それをまとめると下記のようになる。 経典名 漢訳地 漢訳年 漢訳者 --------------------------------…

10-14 仏典の漢訳の問題

二世紀の安世高や支婁迦讖の漢訳が経典の漢訳の始まりである。それ以降、驚くべき量の経典が漢訳されてきた。ところで、「経典の漢訳」ということについていくつかの誤解をしていたようである。ひとつは、その原典でなる経典の移入のルートである。当然のこ…

10-13 漢訳の始まりー安世高と支婁迦讖ー

10-13 漢訳の始まりー安世高と支婁迦讖ー 鳩摩羅什(くまらじゅう)は401年、関中の長安(西安)に迎え入れられて経典の漢訳事業に着手した。鳩摩羅什以降の漢訳経典を旧約(くやく)という。羅什より前の漢訳を古訳(こやく)という。また、玄奘以降の漢訳…

10-12:ホータンからの仏教

10-12:ホータンからの仏教 ■ はじめに タリム盆地の南は崑崙山脈が東西に横たわっている。ホータン(于闐 うてん)はタリム盆地の南西の端にあって、崑崙山脈から流れ出る川沿いに発展したオアシス都市である。シルクロードの西域南道の最も西に位置し、パ…

10-11 法顕の旅

10-11 法顕の旅 法顕は敦煌に一ヶ月滞在した。敦煌の太守李嵩(りこう)が北涼(397~439年)から自立して、西涼(400~421年)を建てたばかりのときであった。法顕は李嵩から資材を提供を受け、最初の砂漠を渉る旅の準備をした。『法顕伝』は敦煌と楼蘭の間…

10-10 法顕の出発

10-10 法顕の出発 法顕(ほっけん、337?~422年)は399年春、長安(西安)を出発した。玄奘三蔵に先立つこと200年。60歳を過ぎてからの旅立ちである。法顕の旅の目的は律蔵の入手である。律蔵は戒律を内容とする仏典である。ちなみに経を内容とするものを経…

10-09 法難と末法思想

10-09 法難と末法思想 北魏(398~534年)の太武帝(在位 423~452)は、426年に長安を占領し、さらに河西回廊にあった北涼を439年に滅ぼして涼州を占領し、五胡十六国の時代に終止符を打った。長安と涼州という二大仏教圏が北魏に組み入れられ、北魏仏教の…

10-08 北魏の成立と以後の北朝

10-08 北魏の成立と以後の北朝 北魏(ほくぎ 386~534年)は、中国の南北朝時代に鮮卑拓跋部によって華北に建てられた王朝。国号は魏だが、戦国時代の魏や三国時代の曹魏と区別して、北魏と史上称される。五胡十六国時代に代を建国。拓跋什翼犍のとき、前秦…

10-07 鳩摩羅什

10-07 鳩摩羅什 ■ はじめに 中国仏教に羅什の果たした役割は余りにも大きい。しかし、羅什が大乗仏教にこだわった理由は明らかではない。その生い立ちを見ておこう。 ■ 生い立ち 鳩摩羅什(350~409年頃)は五胡十六国時代(304~439年)の訳経僧。略して羅…

10-06 「魏晋南北朝時代」とは

■ 一覧表 魏 東魏 北斉 (220-265) 西晋 五胡十六国 北魏 (534-550)(550-577) 後漢 蜀 (265-316) (306-436) (386-534) 西魏 北周 隋 唐 (25-220) (221-263) (534-556) (557-581) (581-619) (618-907) 呉 東晋 宋 斉 梁 陳 (222-280) (317-420) (420-479) (4…

10-05 「五胡十六国」の推移

10-05 「五胡十六国」の推移 ■ 五胡十六国(304~439年) 華北において、劉渕(りゅうえん)が前趙を建てた304年から、北魏が北涼を討って華北を統一した439年までの、華北に興亡を繰り返した「五胡」および漢人の諸国家の総称、もしくはその時代を、「五胡…

10-04 隋・唐の仏教

10-04 隋・唐の仏教 ■ 隋の仏教 (581~619年) 隋は後漢(25~220年)以来360年ぶりに中国を統一した(581年)。隋の皇帝みずから熱心な仏教帰依者であり、仏教は積極的に保護された。阿弥陀仏浄土信仰の新たな展開があり、法華経を重んじた天台宗の天台大…

10-03 魏晋南北朝時代と仏教

10-03 魏晋南北朝時代と仏教 ■ 時代の概略 黄巾の乱によって後漢が滅び、魏、呉、蜀の三国が分立した時代から、隋が中国を再び統一するまでの約三七〇年間(220~589年)を総称して魏晋南北朝時代という。 この時代を表す言葉には複数ある。後漢の滅亡の220…

10-02 漢と西域 -仏教の伝来-

10-02 漢と西域 -仏教の伝来- 前漢の武帝(前156~前87年)は匈奴を北方へ追いやって、河西回廊と西域を支配下においた。ここにおいて、シルクロードが開通することとなる。このシルクロードにより仏教は漢の時代に中国に伝来した。 シルクロードが開通する…

10-01 北魏と石窟(雲崗・龍門)

10-01 北魏と石窟(雲崗・龍門) ■ 北魏(386~534年)の時代 北魏は、中国の南北朝時代に鮮卑拓跋部(せんぴたくばつぶ)によって華北に建てられた王朝。国号は魏だが、戦国時代の魏や三国時代の曹魏と区別して、北魏と称される。 拓跋部は、五胡十六国時代…

10-15 曇無讖と『涅槃経』

10-15 曇無讖と『涅槃経』 北涼(397~439年)の太祖 沮渠蒙遜(そきょもうそん)は呪術と語学に長じた曇無讖(どんむしん)の名声を聞き、敦煌にいた彼を迎え、おりおりに意見を求めたという。ところが、これを聞いた北魏(386~534年)の太武帝(在位423~4…

10-16 「挌義仏教」と竺法雅

10-16 「挌義仏教」と竺法雅 異質の外来文化や思想を受容するためには、受け入れる側にその外来思想と類似したものが存在しなければならない。中国において仏教の受容を可能ならしめたのは、中国の固有思想としての老荘思想が存在していたからである。仏教思…

10-17 「教判」と羅什の影響

10-17 「教判」と羅什の影響 ■ はじめに 仏教を移入した中国においては、インド仏教史の歴史的発展に関する正確な情報がなかった。また、多くの大乗経典と小乗経典が、その冒頭に「如是我聞」という言葉をおいたことから、中国においては、一部の例外を除い…