22-11 白鳳仏の輝き

22-11 白鳳仏の輝き

2006/10/26(木)


 奈良市の西の方に「西ノ京」といわれるところがある。西大寺、秋篠寺、唐招提寺薬師寺などの寺院が並ぶ。奈良市に比較的近いところに薬師寺がある。奈良時代に建立された寺院である。薬師寺は数度の災害と1528年の兵火により当時の建造物としては東塔のみが残っていた。金堂は1976年に、西塔は1981年に、中門は1984年に、回廊は1991年に一部がそれぞれ復興され、最近になって講堂が完成し、往時の壮麗な伽藍の姿を取り戻している。

 金堂には本尊の薬師如来像を中心として日光・月光の両菩薩を脇持とする薬師三尊像が安置されている。薬師如来像は坐像、両菩薩像は立像である。日光・月光両菩薩は腰をひねり動きのある美しい姿をしている。仏像の理想的な写実美の完成ともいわれている。制作当初は金色の仏像であったが度重なる災火によって現在のような少し茶色がかった黒色になった。光背は後の時代に補修されたもので金色に輝いている。仏像の表面は滑らかな光沢のある輝きをもっている。
 
 薬師如来像は金銅造りで塗金がなされていた。鋳造の方法が光沢に影響がある。仏像の原型の材料は蜜蝋である。蜜蝋とはミツバチの巣に含まれる蝋の成分である。まず原型を蜜蝋で作る。その原形を鋳物土で囲み蜜蝋を焼いて溶かし、溶けてできた空間に銅を流し込む。従って、蜜蝋でできた原型の滑らかな光沢がそのまま胴の表面に写される。この表面に金の鍍金がほどこされる。

 白鳳仏には独特の明るさがある。顔の表情も飛鳥仏とは異なることがその大きな原因であると思われる。しかし、表面の滑らかな光沢も明るさに大きな貢献をしているように思う。

 仏像の鋳造は飛鳥時代に始まる。飛鳥寺の飛鳥大仏といわれる釈迦如来像、法隆寺釈迦三尊像などが飛鳥時代の金銅製の仏像として伝えられている。何れも止利仏師の作とされる。止利仏師は渡来系の技術者である。飛鳥寺の建立に当たっては大勢の技術者が百済高句麗から派遣されてきている。仏像はこうした技術者の応援を得てなされたのであろう。

 しかし、飛鳥時代の仏像の鋳造の技術はまだまだ十分に習熟されたとはいえず釈迦三尊像をつぶさに見ると部分的に鋳造のやり直しをしているところが見られるという。飛鳥大仏は寺が消失するなどして大きな修復がされて飛鳥時代の鋳造の技術を見ることはできない。

 奈良の大仏の高さは16.2m。飛鳥大仏から奈良の大仏までの期間がわずか150年。鋳造技術が完全に定着したことがわかる。仏教の移入が単なる教義の移入ではなく、仏教にともなう文化・技術の総合されたものの移入であったことを忘れてはならない。