52-01 韓国慶州石窟庵の大仏

52-01 韓国慶州石窟庵の大仏

2006/2/25(土)

 
 韓国の慶州(キョンジュ)は新羅時代の都だったところで、日本でいうならば京都にあたるような古都である。そこに仏国寺という名刹がある。中心の建物は一段と小高くなったところにあり、境内へは階段になった石橋をのぼって行く。用いられている石は全体に白っぽく、この前面の景観はなんとも優美である。

 この寺の奥の山の上に石窟庵がある。初めてこの寺を訪れたとき(1993年)は、小雨が降っていて滑りやすく危険ということで行くことができなかった。2度目の韓国訪問では慶州は行程になく、3度目(2000年秋)にようやく石窟庵の拝観がかなった。石窟の中には如来像が安置されている。如来像は白色の花崗岩の見上げるほどに大きな坐像で、全体にやや褐色を帯びた柔らかな白色をしている。シンプルでエレガントである。1960年代に洗浄されたということで、古色蒼然の日本の仏像を見慣れた目には新鮮である。慶州は韓国の東岸に位置し、石窟庵は日本海に向かって東面している。春分秋分の頃には、朝日が石窟の奥まで差し込んでくるのではないか。柔らかな白色の仏像が朝日に輝く瞬間をぜひ見てみたいものである。

 興味深かったのは仏像の種類である。弥勒菩薩か釈迦如来かについて説が分かれているとのことである。しかし、頭部に肉髷をもち装飾をつけず納衣だけをまとっている姿はあきらかに如来系である。また、右手の人差し指を地面につけた印相(いんぞう=手の形)は、降魔印(ごうまいん=釈迦が悪魔の誘惑をしりぞけたときの印)といわれる釈迦特有の印相である。姿から見れば明らかに釈迦如来の坐像である。

 石窟庵の如来坐像が建立されたのが8世紀の半ば。奈良の大仏が建立されたのとほとんど同時期である。この頃、新羅で盛んであったのは、従前からの弥勒信仰と新興の華厳経である。華厳経といえば、「毘盧遮那仏」(びるしゃなぶつ)である。

 慶州博物館で、『慶州』という日本語で書かれた慶州の案内の本を購入した。その本には、釈迦如来の像と記されていた。また、海に向かって東面している為、朝日が石窟の奥の本尊仏の顔を照らし、その反射された光が四方の空間と彫刻を照らすようになっていることも述べられている。

 印相と像容の関係が明確になったのは密教の成立以降である。8世紀中葉はまだ密教の登場の前である。印相だけで釈迦如来と決めてかかるのは軽率かもしれない。