41-06 敦煌のビーナス

41-06 敦煌のビーナス

2006/2/1(水)


 MIHO MUSEUMに行ってきた。MIHO MUSEUM滋賀県信楽(しがらき)町の山の中にある。秋季特別展『中国 美の十字路展 ~大唐文明への道~』を見てきた。

 敦煌には、美人窟といわれる石窟がもう一つある。第45窟である。盛唐(712~762年)を代表する石窟である。正面奥の西壁の龕(がん)に七体の塑像が並ぶ。七尊像形式といわれる。いずれも等身大よりやや大きい立像である。中央は釈迦如来、左右に阿難(あなん)と迦葉(かしょう)の仏弟子、その外側に菩薩、さらにその外側に天王、並ぶ。

 「敦煌のビーナス」といわれるのは、向かって右側の菩薩像である。盛唐の彫刻は初唐に比べてより写実性と躍動感を増す。顔、体のもつ丸みや柔軟性もたくみに表すようになる。豊満な肉体を善しとする盛唐の美意識が仏像にも反映されているという。このビーナスも顔が丸く豊満である。腰と首を少しひねったポーズ(三屈法)をとる。

 第45窟は敦煌見学の三日目に訪れた。唐の時代の石窟は龕(がん)が深く大きい。もう一つの部屋というにふさわしい大きさと造りである。さらに龕は1m以上も高いところにある。窟内で懐中電灯を照らすと、ビーナスの真っ白な顔と上半身が浮かび上がり、微笑みに満ちた柔らかな眼差しが注がれているのに気づく。
 
 MIHO MUSEUMの特別展にもビーナスがあった。白大理石の菩薩立像。8世紀初期、唐の時代の作で上記の敦煌のビーナスと同時代である。大きさもほぼ同じ。

 少し腰を右にひねり、右足に重心を乗せ、左膝を少し曲げている。頭部を欠くが、左肩が上がっていることから頭を少し右に傾けていた筈で、三屈法を控えめに採用する。従来の直立像からすると大きな変化で、上半身裸の肉体は胸が張り、胴がくびれて腹が丸く、神の抽象的表現から人間の写実的表現へと変わっている。

 特別展の解説本からの引用である。娘にこの写真を見せたところ、ルーブル美術館「ニケの女神像」に似ているという。頭部がないこと、躍動感があることなど、ビーナスよりはこちらに似ているかも知れない。 

「ニケの女神像」
http://yasu.mods.jp/newpage128.htm