41-07 五大石窟

41-07 五大石窟

2006/2/1(水) 午前 2:40 --41 敦煌莫高窟 歴史

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 今回の旅では、新疆ウィグル地区トルファンのベゼクリク千仏洞、甘粛省敦煌莫高窟と西千仏洞の三つの石窟を見た。中国には他にも多くの石窟がある。敦煌莫高窟山西省大同の雲崗石窟河南省洛陽の竜門石窟を併せて中国の三大石窟という。甘粛省天水の麦積山石窟を加えて四大石窟という。さらに甘粛省蘭州の炳霊寺(へいれいじ)石窟を加えて五大石窟という。

 五大石窟のうち、莫高窟、麦積山石窟、炳霊寺石窟の三つまでが甘粛省の河西回廊沿いにある。莫高窟以外の石窟についてもその開鑿の時期や特徴についてみることとしたい。

莫高窟
 敦煌莫高窟の開鑿のはじめは 366年である。窟の数は現存するものが492窟あり、現存する最古のものは第268、272、275窟の北涼窟(5世紀初頭)で、第237、248、251、254、257、259、260、263窟など
北魏窟(500年前後)第249、285、355、432窟などの西魏窟(6世紀前半)がこれに続く。

[麦積山石窟]
 麦積山は、陝西省西安市から甘粛省蘭州市へ向かう途中にある甘粛省天水市の南約50kmにある。石窟はその中腹にうがたれている。
 麦積山石窟の造営は五胡十六国後秦(384~417年)の時代に始まり、以後、南北朝、隋、唐、宋、元、明、清までの各時代まで造営された。194の石窟に延べ1,000平方メートルの壁画、数十枚の碑刻、そして7,800体以上もの塑像・石像が残っている。

[炳霊寺石窟]
 蘭州の南西、黄河の北岸側の峡谷の中にある石窟。全長2キロにわたる石窟は、五胡十六国時代西秦(せいしん 385~431年)から隋、唐、明、清までの各時代に造営された。
 自然窟に造仏をほどこした169窟は炳霊寺石窟最古の窟。壁面に残された墨書銘から西秦建弘元(420)年のものと見られる。この立仏塑像は透けるような衣によって肉体のボリュームを表現していたり、左右均等にひろがる衣文の表現からインドグプタ朝のマトゥーラ仏の影響がうかがえる。

雲崗石窟
 大同市は山西省第二の都市、北京から西へ約500キロ。雲崗石窟は大同市の中心から西へ約16キロの武州山の南麓にある。雲岡石窟は、北魏の和平元年(460年)にその造営がはじまり、正光年間(524年)に、64年の歳月をかけて完成したとされる。

竜門石窟
 北魏の太和17年(493年)、孝文帝は北方の大同にあった都城を、中原の洛陽へ移して中国を統一した。遷都の年に、竜門西山の南側にある天然の鍾乳洞において、竜門石窟の造営がはじめられた。その後も東魏西魏北斉北周、隋、唐、五代、北宋などの歴代王朝が、400年以上も開鑿をつづけてきた。
 古陽洞は最初期の石窟。幅6.8m、奥行約13m。馬蹄形の平面を持ち、ドーム型の天井まで約11m。正面は二段の宝壇上に、本尊の釈迦如来座像と両脇侍菩薩像を刻む。北魏時代に造られた洞窟で代表的なものが「賓陽中洞」である。正始2年(505年)から開鑿を開始。奥壁に釈迦如来座像、二菩薩、二大弟子の五尊を刻む。中尊の釈迦如来は、高さ約8.4mの巨像。太い鼻翼、唇は仰月形、そして眼は杏仁形と、いわゆるアルカイック・スマイルを浮かべたその顔貌である。