41-16 龍門の石窟

41-16 龍門の石窟

2006/6/2(金)


■ 雲崗石窟龍門石窟

 中国の初期の石窟寺院の開鑿(かいさく)は、4~5世紀に始まる。366年に敦煌莫高窟(ばっこうくつ)、420年に炳霊寺(へいれいじ)、460年に雲崗石窟、そして494年から龍門石窟の開鑿がそれぞれ始まっている。
 龍門石窟は、洛陽市街から南へ14km、伊河に沿った、南北1kmにわたる岩山にある。 古くは伊闕石窟寺と称し、495年、北魏の孝文帝が、大同から洛陽に遷都した頃から開鑿が始まり、東魏西魏北斉、隋、唐、北宋と、長い年月をかけて彫り進められた。石窟は1,352、仏龕(ぶつがん)は785、石灰岩の石彫像10万余体を数える。北魏の洛陽遷都以来、西山の南北2kmにわたる造営が始まった。


■ 古陽洞と賓陽洞

 最古の古陽洞につづいて,宣武帝のために賓陽洞がつくられ,後壁の「五尊像」、左右壁の「三尊像」など、いわゆる龍門様式の石彫像が出現した。面長な容貌、薄板を重ねたような衣文、裳かけ座の浮彫形式の像容に特徴がある。


■ 初唐期

 さらに初唐期には、敬善寺洞・万仏洞・恵簡洞につづいて奉先寺洞が造営され、竜門石窟の最盛期を迎えた。ことに奉先寺は高宗の勅願寺で、皇后武氏の化粧料二万貫を寄進して造営したという。中央に大光背をもつ20mの盧舎那仏、左右に羅漢・菩薩・神王・力士像が侍立しているが、いずれも自然描写をこえた理想像の表現がめざされ,中国仏教彫刻の頂点に位置する傑作である。なお東山には,則天武后時代の独特な尊像をほった石窟がみられる。

引用・参照
http://www.tcp-ip.or.jp/~mitchin/sp1/enter.html
http://www.tabiken.com/history/doc/T/T101R100.HTM