41-14 初期の中心柱窟2 <第248・428窟>

41-14 初期の中心柱窟2 <第248・428窟>

2006/4/30(日)


■ 第248窟

 中心柱四面にそれぞれ一つの龕を開き、正面に結跏趺坐像、ほかの三面に禅定像、苦行像、説法像を安置する。正面の中尊は蓮台に結跏趺坐し、大衣を通肩にまとう。龕の上方に伎楽天が虚空を飛翔し、龕外両側に脇侍菩薩が侍立する。

 また、四壁には、上より天宮伎楽、千仏と説法図、夜叉列像を描く。北魏時代のほとんどの窟は壁面上面に窟内を一周するように天宮伎楽を描く。伎楽天は、仏が説法するとき、虚空を飛翔しながら散華したり、器楽を奏したりして、仏の相好の光明をたたえるものである。


■ 第428窟

 ◇ 概略

 第428窟について見てみる。奥の西壁には涅槃図がある。この涅槃図は敦煌莫高窟の最古の例である。その出現は、華中の雲崗石窟龍門石窟、あるいは西域北道のオアシス国家クチャのキジル石窟と比べてもその出現は比較的遅い。しかし、雲崗や龍門の石窟は北周以前から涅槃図が製作されていたがその取り扱い方は小さかった。第428窟の場合は石窟内での取り上げられ方は格段に大きくなっている。また、中心柱窟の奥に涅槃図があるという構造はキジルの影響を窺わせる。この涅槃図は敦煌の地域的な特徴を明らかにするものと思われる。

 第428窟の概略は次の通りである。間口10.8m、奥行13.75mの広さをもつ。中心方柱の四面にアーチ型の大龕(だいがん)をひらき、結跏趺坐(けっかふざ)する如来像と仏弟子、龕外(がんがい)に脇侍菩薩像を安置する。仏弟子は右が迦葉(かしょう)、左が阿難である。莫高窟の初期の塑像は、仏・菩薩・天王だけであったが、北周から仏弟子があらわれるようになる。

 四壁の壁面には、経変図・本生図・供養者像、金剛力士像などが見られる。東壁窟門の南北両側には、サッタ太子本生図(捨身飼虎図)とスダーナ太子本生図がフリーズ状の連環画形式で描かれている。

 ◇ 釈迦の体躯の表現

 この敦煌莫高窟第428窟の作例であるが、まず、釈迦の体躯の表現は、両手を体側につけている。この寝姿が仰向けなのか横向きなのかは明らかではない。同じ時期の華中の多くの涅槃図は仰向きに評されている。麦積山石窟第26窟の涅槃図の釈迦がその例である。しかし、この作例は両腕が二本とも同じ大きさで描かれ、必ずしも仰向けに表されていると考えがたい。もし、自然な状態で仰向けに描くなら、左手は描かないか、右手より小さく描くべきであろう。

 この描写は麦積山石窟第26窟の涅槃図と比べて、遠近法を全く無視した表現がなされているといえる。しかし、その足の表現は両方を揃えて、両足のかかとが休台につく形で表されており、体躯の表現とは不釣り合いなものに見える。顔は足の部分と呼応するように、上向きに表されている。


■ キジルの石窟との比較を

 キジル石窟は、制作年代については、これまでドイツのヴァルトシュミットの説が用いられてきた。ヴァルトシュミットによれば、キジルの石窟は紀元500年前後の第一様式、600-650年頃の第二様式に区別している。

 しかし、中国による近年の炭素測定研究では、四世紀までさかのぼるという。敦煌莫高窟の開窟が366年頃とすれば、西域ではより早い時期に石窟が開かれた可能性を思わせる。

 キジル千仏洞の中心柱窟は内部が一貫したストーリーで貫かれている。それに対して敦煌莫高窟の中心柱窟にはそのような一貫性がない。また、ラペズラズリの多用は、キジルの全盛期において可能だった。


■ 中心柱窟のもう一つの意味

 第254窟、第257窟は、北魏(386~534年)の時代に制作られた。その造像様式から見てその制作年代は470年代から500年ぐらいまでと考えられる。キジルと同じ中心柱窟でありながら、涅槃像はまだない。この時代の中心柱窟の意味をどのように考えたらよいのであろうか。

 莫高窟の最初期の石窟は第268、272、275の三窟である。この三窟の制作年代は五世紀前半から半ば頃にかけてであると見られる。この三窟はいずれも中心柱窟ではない。第275窟は、間口約3m、奥行6mで意外と狭い。これに対して、中心柱窟は広い。北魏(386~534年)の時代の第254窟は、間口7m、奥行10m。北周(556~581年)の時代の第428窟は、間口10.8m、奥行き13.5m。隋(581~618年)の第427窟は、間口7m、奥行き10m。この第427窟は隋代最大の石窟である。

 莫高窟の中心柱窟は、大きな方形の窟を造るのがむしろ主たる目的ではなっかたのかとさえ思えてくる。

引用・参照
京都新聞社編 『仏教東漸 シルクロード巡歴』 京都新聞社
・宮治 昭 著 『仏像学入門 仏たちのルーツをさぐる』 春秋社
・「中国北朝期の涅槃図についての一考察」
 http://www.fsinet.or.jp/~kyouko-h/chinacave/butugei/butugei-contents.htm