釈迦牟尼は美男におはす・・・』

釈迦牟尼は美男におはす・・・』

2013/10/9(水)

 

■ 夏木立かな
 与謝野晶子(1878~1942)に、「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」という短歌があります。鎌倉大仏は青銅で鋳造された大仏です。露座で長い間あったためにところどころに緑青ができ、全体として青みを帯びた明るいグレーの色に見えます。初夏は大仏がもっとも美しく見える時期だと思います。真っ青な空が背景となり、後ろの小山も周りも美しい新緑に覆われます。「夏木立」という表現は初夏の大仏の美しさを見事一言で表していると思われます。大仏を「美男」と表現するのも情熱的な作品を数多く残した女流歌人ならではの表現です。

 

■ 釈迦牟尼

 しかし、「美男におわす」と詠まれた大仏は実は阿弥陀如来です。釈迦如来像ではありません。像容(仏像の種類)がなんであるかは、印相(いんぞう 手の組み方)を見ます。鎌倉大仏の印相は阿弥陀の定印(じょういん)と言われるものです。阿弥陀の定印は両手を重ねて親指と人差し指(または中指、薬指)で輪を作ります。釈迦如来の定印は左手の上に右手を重ね、両手の親指の先を合わせて他の指は伸ばします。法界定印(ほっかいじょういん)といい、座禅の時結ぶ印相です。

■ 多仏と一仏

 大乗仏教は多仏の世界です。釈迦如来のほかに、大日如来阿弥陀如来薬師如来弥勒如来などがあります。東南アジアの上座仏教では仏は釈迦如来のみの一仏です。明治の知識人にとって仏教は上座仏教的に理解されていた可能性があります。多仏よりも一仏の方がより合理的に見えた可能性があります。
 与謝野晶子のご主人は与謝野鉄幹です。鉄幹はお寺に生まれ、他のお寺に養子に行っています。一時期は仏教を熱心に勉強したとも伝えられています。晶子は商家の育ちで仏教とは縁のない生活であったようです。鉄幹の仏教の知識は晶子に伝えられることはなかったのでしょうか。

■ しかし、名句

 鎌倉大仏阿弥陀仏だと晶子が知っていたらこの句が生まれたでしょうか。釈迦牟尼の言葉をどのように置き換えたらいいのでしょうか。置き換えはうまくゆきません。阿弥陀様、弥陀如来と言った言葉では音の響きの上で鎌倉大仏の颯爽たる雰囲気が出てきません。また、釈迦には青年時代の王子の颯爽としたイメージがあります。おそらく、晶子が阿弥陀像と知っていたらこの名句は出てこなかったと思います。
 仏教文学の研究家で歌人の山上々泉が昌子に問い合わせたところ昌子はその誤りを認めながら、実感を重んじる建前と既成の作品のゆえに訂正することはしない旨を申し送ったという逸話があります。