22-07 「記紀万葉」の時代

22-07 「記紀万葉」の時代

2006/10/26(木)


 「記紀万葉」というのは、『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』の総称である。「記紀万葉」は日本で最も古い時代の本の代表であろう。しかし最も古い本はということになると、『三経義疏』を挙げなくてはならない。『三経義疏』は、『勝鬘経義疏』『維摩経義疏』『法華義疏』の総称である。『勝鬘経義疏』は『勝鬘経』の、『維摩経義疏』は『維摩経』の、『法華義疏』は『法華経』の注釈書である。いずれも聖徳太子(574~622年)が撰述したと伝えられている。

 とりわけ、『法華義疏』は、聖徳太子の自筆の本が法隆寺に伝えられている。『維摩経義疏』と『勝鬘経義疏』については写本が伝えられている。聖徳太子がこの『法華義疏』を撰述したのが、615年(推古23)。今から、約1400年も前のことである。『勝鬘経義疏』は、611年(推古19)、『維摩経義疏』は613年(推古21)の撰述である。

 『万葉集』が完成したのは天平時代である。雄略天皇聖徳太子作とされる伝承歌を除けば、万葉の時代は舒明天皇(じょめいてんのう 在位629~641年)の時代が始まりである。舒明天皇推古天皇(在位592~628年)の没後の天皇であるから、万葉集の成立時期はもちろん、内容も聖徳太子よりも後の時代のこととなる。聖徳太子作とされる伝承歌を紹介しておこう。

 万葉集巻三に「上宮聖徳皇子出遊竹原井之時見龍田山死人悲傷御作歌一首」として下記の歌が載る。
 家にあらば妹が手纒かむ草枕旅に臥せるこの旅人あはれ(万3-415)
  
 『古事記』は、上巻は神話で、中・下巻で神武天皇から推古天皇の時代までを扱っている。内容は古い時代を扱っているが成立は712年である。また、『日本書紀』の完成は722年である。『三経義疏』は「記紀万葉」の時代よりもさらに一世紀も前に成立している。

 ところで、『三経義疏』は仏教の経典の注釈書である。日本での本格的な仏教研究は奈良時代に始まる。その後南都六宗として整理される。六宗とは華厳・法相・倶舎・三論・成実・律の六宗であり、遣隋使や遣唐使として中国に派遣された学僧が当時の中国で行われていた仏教を齎したものである。

 『三経義疏』に見られる聖徳太子の仏教思想は、法華経の重視、在家主義、阿弥陀経の影響である。法華経天台宗阿弥陀経浄土教とすると、南都六宗には、この二つの宗派がない。天台宗は、奈良時代の終わりに最澄によって、浄土教は、さらに後の時代、9世紀前半に円仁(794~864年)が中国五台山の念仏三昧法を比叡山に伝えたのがその始まりである。