22-22 朝鮮からの仏教支援

■ 高句麗から倭国への仏教支援

 飛鳥時代聖徳太子の師となった慧慈をはじめとして、複数の高句麗僧が我が国に来朝している。彼らは個人の意志で来朝したのではなく、高句麗外交政策の一環として送り込まれた人たちであるが、我が国の仏教の発展に大きく寄与した。高句麗僧の往来を年表風にまとめると、以下のようになる。

583 高句麗の僧恵便が日本で教化し、日本最初の比丘尼(善信尼、禅蔵尼、慧善尼)を得度する。
595 5月、慧慈が渡日して聖徳太子の師となる。
602 閏10月、僧隆、雲聡が日本へ来る。
610 3月、曇徴、法定が日本へ来る。
615 慧慈が日本から帰国する。
625 正月、恵灌が日本へ来る。


■ 百済から倭国への仏教支援

 聖王の時代、百済高句麗新羅の圧迫されて軍事的に劣勢に立たされていた。そのため、親交のあった倭国の軍事支援を期待して、盛んに高度な文化を誘い水として提供してきた。仏教文化は格好の”エサ”であった。『日本書紀』に記載をもとに、当時の百済仏教関係者の往来を年表風にまとめると、以下のようになる。

552 仏像、経巻を日本に伝える(日本書紀)。
554 曇慧など九人の僧を日本に送り、道深など七人の僧と交代させる。
577 経論、律師、禅師、比丘尼、呪禁師、仏工、寺匠などを日本に送る。
583 日本国王の要請で日羅を日本へ送る。
588 僧恵総、令斤、恵寔(えしょく)らを日本に派遣して仏舎利を送る。
   別に、僧6人、寺工、鑪盤博士、瓦博士、画工を送る。善信尼らが勉学のため百済に来る。
590 3月、百済で学んだ善信尼ら帰国する。
595 慧聡が渡日して、高句麗僧慧慈とともに王室の師となる。
602 10月、観勒が来日し、天文・地理・暦書、方術書などを伝える。
609 4月、百済僧の慧弥、道欣ら十一人が日本に漂着する。

引用・参照
・『朝鮮半島における仏教の展開』
 http://bell.jp/pancho/hyper-history/siron_shotokutaisi/database/bukkyo/buddism-korea.htm

 

2006/11/6(月)