ブッダの悟りへのアプローチ
2013/10/10(木)
ブッダの悟りへのアプローチ
1.出家の動機
出家の動機がはじめから明らかであったとは限らない。時代の急激な変化、産業化、都市化、非ヴェーダ化、バラモンの権威の失墜、商工業者階級の勃興、クシャトリア階級の上昇、大国化と小国の運命。個人の努力とかを超えて押し流してゆこうとする大きな力を感じたのであろう。
出家の当時は漠とした不安、焦燥であった。それが禅定の修業をする中で自らのうちから湧き上がる欲望の激しさであることに気付いた。欲望を抑えるのは苦行であるとして苦行に打ち込む。しかし、苦行によってもその欲望を解消することはできなかった。解消できないことの意味を考えた。そこで、欲望は物質的なものではなく、また個人的なものではなく、まさに社会的な、時代的なものであることを見て取った。苦行はこの区別をせず自然的欲求をもすべて抑え込もうとした。
2.社会的欲望
社会的欲望の発見がすべてであった。自然的欲求と社会的欲望との差異に気付いた。ブッダの生まれる少し前から鉄器が急速に普及し始めた。鋼の生産技術が確立されたことによる。鉄器は武器や農機具に用いられ、農業の生産力が一気に増大し始めた。商工業が発展し、都市が成立した。農村共同体の桎梏は緩み、あふれる物資の中で欲望は無限に膨らんでいった。無限の欲望は決して満たされることがない。ブッダは欲望の存在に気付いたのである。
3.エピキュロスとショーペンハウアー
この分類はギリシアの快楽主義の哲学者であるエピキュロスによるものである。当時のギリシアは貨幣経済に突入し、欲望が解き放たれる状況にあった。
ショーペンハウアーもこの社会的欲望に気付いた。産業革命、市民革命によって成立した資本主義の精神でもあった。彼はこの欲望の動きを意志と表現した。
4.悟り
ブッダの悟りは、この社会的欲望の性質、社会的欲望に翻弄される人々、そこに巻き込まれている自分というものを透徹することであった。単に精神を統一することではなかった。欲望の燃え盛るさまを、自らの身を欲望の火に焦がされていることに気付くことである。この気付くことが知恵の獲得であった。
5.ニーチェ
ニーチェの永劫回帰の思想は、反、あるいは非ヨーロッパの文化、哲学、宗教である。それらの根底にある進歩史観、歴史主義に対する告発である。積極的定義は不可能な概念である。・・・でない、という表現でしか語りえないのである。「今、ここ」という超人の思想は、自らのいかなる行為もヨーロッパの進歩史観という時間と比較の空間から抜け出す試みであった。
5.定慧こそすべて
したがって、ブッダの悟りは定慧こそすべてである、ということができる。それはブッダの定式化された教えでいえば、八正道であり、そのなかでも正定、正念である。四諦も縁起も無我、無常さえも蝉の抜け殻にすぎない。ところが、日本に伝わった仏教は戒律がなくなり、行も禅宗の座禅のみを残してなくしてしまった。八正道のない仏教となっている。この遠因は、中国で成立した大乗仏教にある。
6.オカルト宗教
オカルトの特徴は、行を重視することではないだろうか。日本の仏教の弱点を突かれているのである。
7.仏教の再生 仏道としての原点にもどる
1)上座仏教との関係
上座仏教に伝わる定慧の再評価、戒律を厳格に守る僧院の再生
2)禅宗
座禅の方法のマニュアル化
3)キリスト教、イスラム教
禅定法の提供