16-01 慧文と湛然

16-01 慧文と湛然

2006/10/24(火)


■ 慧文

 中国の南北朝時代北斉の僧。慧聞ともいう。生没年、生地ともに不明。南岳大師慧思の師匠。龍樹の『中論』によって、一心三観の理を悟った。一心三観とは、

  空観 執われの心を破し
  仮観 すべての現象が仮りのものながら存在することを悟り
  中観 絶待的(対立を超越している)世界に体達する

を一思いの心のうちにおさめとって観ずることをいう。それは、『中論觀四諦品第二十四』(龍樹撰述・鳩摩羅什訳)に

  衆因縁生法 我説即是無 亦爲是假名 亦是中道義
  (大正新脩大藏經 30巻)

とあるように、いずれの縁起でもそれは我々は空と説き、それは仮名であって、それはすなわち中道であるという文言からきている。

 やがて、この一心三観の思想を基にして、地獄から仏の十界それぞれに十界が互いに具わっている十界互具。更には十如是(『妙法蓮華経方便品第二』)と三世間と十界互具を掛け合わせた三千が一念の心に具しているという一念三千という天台宗の基本教義に発展する。


■ 妙楽大師湛然(荊渓大師 711~782)

 唐代中期の僧。天台第六祖で天台を中興した。その出身地から荊渓尊者。あるいは妙楽大師と称される。儒学の教養があり、730年に左渓玄朗に就き20年間天台を学ぶ。出家は遅く38歳である。

 唐の時代になると、新しく興った華厳や禅が隆盛であり、新しくインドから唯識仏教(法相宗)が伝来していた。広く律、唯識、華厳に通じ、それらに対抗し宗勢を発展させた。また、天台宗の伝統を確立しそれを宣揚した。天台大師の典籍を注釈し、なかでも天台三大部の註釈は現在でも天台学研究の必須の書である。弟子のうち、道邃と行満は後に入唐した最澄の受法の師である。

引用・参照
http://www.kosaiji.org/hokke/tendai/kyogi.htm