16-02 「四種三昧」確立の意味

16-02 「四種三昧」確立の意味

 『摩訶止観』第一章・第二項「修大行」で説かれた四種三昧(ししゅざんまい)には、般若空観あり、法華一乗観あり、実相観あり、坐禅あり、念仏あり、陀羅尼ありで、後世、各方面に広く用いられるようにいたった。・・・

 第一の常坐三昧は、文殊説・文殊問の両『般若経』にもとづくと説き、名づけて一行三昧ともいうとしている。九〇日間を一期として、身はもっぱら一仏に向かって結跏正坐し、口は沈黙をもって常とし、意はもっぱら一念もて法界にかける。・・・

 第二の常行三昧とは『般舟三昧経』(はんじゅざんまいきょう)によったもので、仏立三昧(ぶつりゅうざんまい)ともいう。三昧中に仏が目の前に立ち現れることから、このようにいう。阿弥陀仏を本尊として、九〇日間、そのまわりをめぐり歩き、口にはもっぱら阿弥陀仏の名を唱えながら、仏を念ずる。これを「歩々、声々、念々、唯阿弥陀仏に在り」(巻第二上)といっている。意は弥陀浄土や仏の三十二相を思い浮かべたりする。・・・
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 そこで、いま一度、常行三昧を説いた箇所をみてみると、有相的(うそうてき)に仏を立て、浄土を対置しながら、一方、「仏は心を用いて得ず、身を用いて得ず」「心ならば仏に心無し、色ならば仏に色無し。故に色心を用いて三菩提を得ず」とことわり、「設い(たとい)念あるも亦無所有(むしょう)にして空と了ずるのみ」(巻第二上)といっている。常坐三昧のところでも「如来を見て而も如来の相を取らず」とのことばが存する。

 第三の半行半坐三昧は、『大方等陀羅尼経』による方等三昧と『法華経』による法華三昧とに分けられる。方等三昧は七日を一期とし、仏像のまわりを呪文(陀羅尼)を唱えながらめぐり歩き、終わっては座禅し、実相を観ずる。これをくりかえすのである。・・・法華三昧は、二一日(三七日)を一期とし、やはり仏像の回りを行道することと座禅することが交互になされる。その間に礼仏・懺悔・誦経(ずきょう)などが行われる。

 法華三昧では、とくに懺悔が強調されている。その懺悔は『法華経』の結経とされる『観普賢菩薩行法経』(『観普賢経』)によったものである。
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 最後の非行非坐三昧は、上の三種の三昧以外のすべての三昧に名づけられたものであり、行住坐臥のいずれを問わず、随意であることから、かく名づけられた。経典によるもの(約諸経観)と善・悪・無記の倫理的規範によるものであるから、事観とされる。
 約諸経観における経典としては、例として『請観音経』があげられ、それを誦し、また、観世音菩薩の名が唱えられる。観世音菩薩は種々の災難を除く菩薩ということから、古く徐災招福の現世利益を求めて観音信仰が盛んになされた。究極は実相観にいたるものとされている。

引用・参照
・田村芳朗 『仏教の思想5 絶対の真理<天台>』 角川書店 p167~

 中国の仏教史において、智顗の天台教学がどのようにして成立してきたかについては、それほど問題にされていないようである。しかし、天台教学は、インドにはなかった大乗の戒律、インドにはなかった大乗の禅観を完成し、中国の大乗仏教の基礎を築いたといってよい。上記の「四種三昧」の説明から、そのプロセスが垣間見えるように思われる。

 五世紀初めの鳩摩羅什の訳業によって、中国の仏教界に「空」がもたらされた。しかし、「空」は虚無性を秘め、また戒律も確立していなかったため、教団の世俗化が生じたりした。この問題を克服しようとしたのが、慧思、智顗の努力であったように思われる。