16-03 慧思の 「法華三昧」とは

16-03:慧思の 「法華三昧」とは

2006/10/30(月)


 智顗が慧思に出会い、「法華三昧」の修行によって悟りを得たといわれる。しかし、この「法華三昧」とは一体なにか。下記の文章は比較的わかり易い説明である。以下引用である。

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 江東には都建康の法雲に代表される講経のエキスパートは多いけれども、禅定の良師なしと嘆いていた智顗であったが、慧思は経典を読誦しつづけること十年、方等懺法を行うこと七年、常坐九十日、円頓の宗旨を極めたと聞く。智顗は修羅の戦場を踏み越えて慧思のいる大蘇山へ向かった。慧思に会うや早速、普賢道場を教示され、四安楽行(しあんらくぎょう)が説かれた。

 普賢道場というのは『法華経』の中の普賢勧発品(ふげんかんほつぼん)にもとづく、経典を誦える修行道場である。四安楽行も同じく安楽行品に説かれ、法華三昧に至るための、身・口・意・誓願の四つの安楽行法である。両方とも慧思が入門したての弟子たちに実修させたものであり、彼の『法華経安楽行義』には、有相行(うそうぎょう)と無相行というふたつの門に分けて説明している。

 『法華経』普賢勧発品によって『法華経』の読誦に精進し六牙の象に乗る普賢菩薩の像相をみて心眼を開くのが有相行なら、『法華経』安楽行品にもとづき、一切は色もなければ形もない、善悪、相対を超えた空であり、常住不変のものはないと悟るのが無相行というわけである。

 実は安楽行品に、釈迦の入滅後の五濁(ごじょく)にまみれた末世に至り、その中で『法華経』を広めるためには、四安楽行による修行をせねばならないと説かれている。また、普賢勧発品にも末法汚濁の世界で『法華経』を受持し修行しようとする者は、三・七日つまり二十一日の間、一心不乱に精進せよと叱咤されている。慧思が鼓吹する末法到来の有力な論拠にもなったものであるが、これは本格的な末法経典といわれる那連提耶舍の『大集経』(だいじつきょう)月蔵品が翻訳されるより数年早い末法の自覚である。

 慧思が安楽行と呼んだ法華三昧の行法は、『法華経』のほか『観普賢菩薩行法経』をもとに組織だてをしたものである。二十一日をかけて道場を淨め、経を誦え仏を拝むといった修行法であり、やがて智顗の『法華三昧讖儀』にまとめられる。・・・・・

 慧思の教えにしたがって昼夜『法華経』を誦えていった十四日目、薬王品の「諸仏は同しく『是れ真の精進なり、是れを真の法供養と名う』と讃う」の一句にさしかかった。智顗は突如、身も心も豁然として経の極意を悟った。

 要するに『法華経』に一貫して流れる一乗開会、つまり仏の慈悲のもとでは、機根(能力や資質)によって菩薩(=大乗)だとか、声聞(=小乗)、縁覚(=中乗)といった救いの乗物に差別があろうはずはなく、小・中の二乗もやがて導かれ、一乗に帰せられ成仏できる。この二乗作仏という教えを智顗は悟ったというわけである。

引用・参照文献
・藤善真澄・王勇 『天台の流伝 智顗から最澄へ』 山川出版社 p56~