16-05 僧肇の空思想と慧思

16-05 僧肇の空思想と慧思

2006/10/30(月)


■ はじめに

 天台大師智顗は青年時代に大蘇山の慧思禅師のもとで法華三昧を行じ、そこでの証悟が出発点となって後に天台教学を大成することとなった。ゆえに慧思が智顗に伝えた法華三昧こそが、後の天台教学の淵源となったと言えよう。

 それでは、慧思の思想は、中国仏教思想史の上でどのような意義を持つのであろうか。慧思は般若空観の実践者であったから、鳩摩羅什によってもたらされた空思想の流れを汲む者である。しかも彼は『法華経』を大乗頓覚の教えであると理解して、『法華経』に救いを求めた。そこにはそれ以前とは異なる仏教思想上の展開があったと考えられるのである。


■ 僧肇の空思想

 大乗仏教の空思想が本格的に中国にもたらされたのは、西域出身の学僧、鳩摩羅什が弘始三年(401)に長安に到着して以後である。彼は『般若経』『法華経』『中論』などの代表的な大乗仏典を漢訳すると共に、龍樹による中観学派の学匠であったので、空思想に関心を寄せる中国の仏教者にとって良き師となった。

 僧肇は、強いて言葉を借りれば『大智度論』や『中論』に説かれる非有非無の文こそ、第一真諦を指し示す言葉であると言う。

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 さて、僧肇はこの非有非無の論理によって、どのような人間像を描き出したのか。いったい般若の智慧を体得すれば、万物を人為的に有と無に切り分けるのではなく、万物それ自体に即して真諦を見出すこととなる。そこで「不真空論」の最後に

 真を離れて立処に非ざれば、立処即ち真なり。
 然れば則ち道遠からんや、事に触れて而も真なり。
 聖遠からんや、之を体すれば即ち神なり。

 というように、迷いから離れて悟りがあるわけでなく、迷いと悟りは相即すると主張するのである。そしてこの迷悟不二の理解により、有に対して超越する無と捉える小乗の消極的な空思想を超克して、世俗にあって仏教の真理を体現するという大乗の積極的な人間観を提示することができたのである。


■ 慧思の登場の背景

 また一方では戦乱の続く社会不安の中で、仏教に対する宗教的、実践的な要求が生まれてきた時代でもあった。その中で、宗教的な救済を説く経典として『法華経』が尊重されたことに注意すべきである。例えば『法華経』を読誦することにより滅罪を願う普賢信仰や、観音の名を称えることによって苦難から脱れることを願う観音信仰が一般に広く行われるようになった。これらの信仰の具体的な事例については、『法華伝記』などにみることができる。慧思(515~577年)が生まれ育ったのは、このような時代の北朝社会においてであった。

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 『続高僧伝』によれば、慧思は出家した初め『法華経』の読誦行や方等懺法といった当時、北朝で盛んだった仏道実践を熱心に行っていた。しかしそれに満足せず『妙勝定経』を読むことにより禅定の重要性に気づき、慧文禅師のもとで禅定修行に励み空定を発したが、その後この空定について獲る所なく空しく過ごしたと深く慚愧を懐いたその瞬間に、法華三昧大乗法門と呼ばれる証悟に達した。この証悟がきっかけとなって慧思の名声は広まり、多くの修行者が彼のもとに集まるようになったとあることから、法華三昧の証悟が彼の仏道にとって決定的な意味を持ったことが知られる。

 彼の師事した慧文禅師は、『摩訶止観』に「文師の用心は一に釈論に依る」とあるように、『般若経』の注釈書である『大智度論』に基づいて般若空観を実践する禅師であった。また慧思自身も、法華三昧を証悟した経緯が空定に対する反省によって語られることからわかるように、般若空観の実践者であった。それにもかかわらず、彼の発得した証悟が法華三昧と呼ばれるのは何故か。そこで次に慧思の講説とされる『法華経安楽行義』より、法華三昧の内容について窺うこととする。


■ 慧思法華三昧の内容

 『法華経安楽行義』の冒頭において、「法華経とは、大乗頓覚、無師自悟して疾く仏道を成ずる、一切世間難信の法門なり」と述べられるように、彼は『法華経』を高遠な理念のみを説く経典としてではなく、自らが仏となる道を直ちに明かした仏道実践の経典であると理解した。そして、この法門を成就する実践行が法華三昧である。法華三昧の語は、もともと『法華経』の妙音菩薩品と妙荘厳王本事品にみえる。しかしそこでは明確な定義を与えておらず、ただ『法華経』の精神に基づく実践行ほどの意味に理解できるだけである。慧思はこの法華三昧について有相行と無相行との二種行を立てる。

 このうち有相行とは、『法華経』の「普賢勧発品」に基づき、『法華経』を読誦することによって普賢菩薩の現前を期待する行法であり、当時、一般に広く行われていた普賢信仰を取り入れたものである。これに対して無相行とは、同じく『法華経』の「安楽行品」に基づき、無相行の名が示すとおり、空観によって心相に執れないことを期する行法である。

 この「安楽行品」に拠ったのは、慧思独自の着眼であったと思われる。彼が「安楽行品」に着目した理由として、この品に菩薩の行処として、空観の実践が説かれていることが、第一に考えられる。それとともに、この品には仏法が滅亡に瀕した中で、如何に迫害を堪え忍び『法華経』を受持すべきか説かれていることが、理由として考えられるのである。慧思は仏教教団の堕落した有様を深刻に受け止めて厳しく批判し、仏法の滅亡に対して強い危機感を抱いていた。また、彼自身がしばしば迫害を被ったと伝えられる。慧思の法華三昧の背景には、時代社会に対する鋭い批判精神があったと考えられるのである。

 それでは、彼は当時の仏教教団の具体的にどのようなあり方に対して、法滅の危機感を覚えたのであろうか。彼は『諸法無諍三昧法門』において、坐禅などの実践行を軽んじて専ら文字を講説するだけの法師を批判すると共に、次のような法師のいたことを伝えている。その法師は、我は大乗甚深空義を理解したと常に豪語し、さらに次のように言ったという。諸法は悉く空なれば、誰か垢誰か浄、誰か是誰か非、誰か作誰か受あらんや。

 すなわち、諸法は空であるから仏法に定められた戒律を守っても何の意味も無いと理解して、自ら戒を破り、また多くの者がこれに従ったというのである。慧思は、この者たちは仏法僧の三宝を破壊してしまうから、その罪は五逆より重いと厳しく批判している。仏教に説く空の教えは、その否定的な表現の故に虚無思想と誤解される危険性を常に持つ。このような悪趣空と呼ばれる虚無的な空理解により、戒律や禅定などの実践行が軽んじられ、仏法が破壊される状況を目の前に見て、慧思は法滅の危機を叫ばずにおれなかったのではないか。


■ 慧思の法華経

 時代社会に蔓延していた虚無思想に対して、『法華経』からどのような新たな仏教の方向性を見出したのか、『法華経安楽行義』中の経題釈から窺うこととする。経題釈とは、ある特定の経典の題名を解釈することを通して、その経典のテーマを読み取ろうとする中国仏教独自の研究方法であり、ここに慧思の法華経観が端的に示されている。彼は妙法蓮華経という経題のうち、「妙」と「法」について次のように解釈した。

 妙とは、衆生妙の故に。法とは、即ち是れ衆生法なり。すなわち、衆生法が妙であることを明らかに
することが『法華経』の主題であると、慧思は受け取ったのである。『法華経』方便品では一仏乗が説かれ、全ての衆生が仏となるべき身であることが主張されるが、ここでいう衆生妙とは何を意味するのであろうか。

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 迷いと悟りのあり方とは、かけ離れてあるのではなく相即してあるから、衆生法は妙であると述べている。さらに『般若経』から「諸法如即ち是れ仏なり」の文を引いて、諸法のありのままのすがたを覚るのが仏であり、仏の悟りは迷いの衆生から超然としてあるのではないことを強調している。衆生と仏とが相即して不二であるとは、大乗の空思想から見れば当たり前のことのように思われる。慧思が改めて般若空観の意義を問い直して、生仏不二を強調しなければならなかった理由は、何であろうか。

 ここで一つ手がかりとなるのは、『央掘魔羅経(おうくつまらきょう)』の存在である。『法華経』に説く一仏乗が、全ての衆生は仏となるべき身であるという普遍的な理念を表わすのに対して、『央掘魔羅経』のこの経説は、如来の意義は衆生の上に求むべしと、より個別的で実践的な視点を与えてくれる。慧思が『法華経』を実践修道の指針とする上で、『央掘魔羅経』の経説が重要な手がかりとなったと考えられるのである。

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 以上は、引用である。「虚無的な空理解」がもたらした法滅の危機を、慧思がいかに克服したのか、をもう少し考えてみたい。『央掘魔羅経』の「如来の意義は衆生の上に求むべし」という語は、如来蔵思想から来る言葉であろう。当時、『涅槃経』が漢訳され、如来像思想が中国に入っていた。衆生が大胆に肯定されたのだ。「如来像をもっている衆生」が登場したのだ。法華経の一仏乗思想が、如来像思想によって実在性が出てきたということか。

 しかし、この結合には、当時の民衆の普賢信仰や観音信仰が媒介になっていることを見逃してはならない。

参照・引用
・稲葉広由 『慧思の法華思想 僧肇の空思想を背景として』
 南山宗教文化研究所 研究所報 第8号 1998年 所収
 http://www.nanzan-u.ac.jp/SHUBUNKEN/Shuppanbutsu/Shoho_to_burechin/pdf/S8-Inaba.pdf