16-11 天台における「衆生」の発見

16-11 天台における「衆生」の発見

2007/5/27(日)

慧思と智顗の位置づけは見直すつもりです。


 大乗仏教は「中国で」成立した。インドでは大乗仏教の経典は成立し、運動もあった。しかし、教団はなかった。中国での大乗仏教の成立は六世紀末の天台教学の成立によってなされた、と見ている。

 五世紀の初めに、西域の僧 鳩摩羅什(くまらじゅう、クマラージバ)の仏典の漢訳事業によって中観教学を伝えられ、その後、律典や禅観経典も伝えられた。中観教学の「空」はしかし、ニヒリズムとも楽天主義とも表裏の関係にあった。僧肇(そうじょう)などによって「空」が正しく理解されたとはいえ、仏教教団と僧の堕落は繰り返された。三武一周の法難といわれる四回の廃仏のうち二回が、この時期に断行されている。

 こうした事態の中で、末法思想も流布し、心あるものにとっては仏教は閉塞状況にあったと思われる。その閉塞状況をう打ち破ったのが、慧思(えし)であった。慧思は、最初慧文(えもん)から「一心三観」を受け継いだように、「空」から出発している。しかし、法華経を加味し、法華三昧という禅観法を編み出している。

 法華経重視も鳩摩羅什の影響であろうと思われるが、しかし、「法華三昧」はそれだけではなかった。当時、民衆の間で、普賢菩薩信仰や観音菩薩信仰が普及していた。いずれも現世利益を求めるものあったが、閉塞状況を打開しようとしていた慧思にとっては民衆の運動は救いの手になったはずである。

 丁度その頃、新たに西域から伝えられたのが『涅槃経』である。『涅槃経』は、「頓悟」と「如来蔵」の二つの概念を中国に伝えた。一切の衆生如来蔵(悟りを開いて仏となれる可能性)をもち、しかも、それは幾世代も輪廻を繰り返すことなく、今のこの代で可能となるという。

 天台智顗(ちぎ)において、民衆の信仰の高まりと、『涅槃経』の「頓悟」「如来蔵」が見事に結びついた。それが智顗の悟りであったということができる。『法華経』の説く一乗開会(いちじょうかいえ)の意味を、民衆の信仰の高まりと如来蔵思想を媒介にして理解したのである。

 大乗の「他者」は、智顗を通してはじめてリアリティをもった。利他における「他者」は、初期般若経典の菩薩のイメージや、法華経の経典のなかで意識されていた。しかし、ここにいたってはじめてリアリティをもった。