24-08 七~八世紀の中国の仏教

24-08 七~八世紀の中国の仏教

2006/10/20(金)


 日本においては、天台宗最澄によって展開される。最澄が唐に渡ったのは、第18回(804年)。天台教学は一時代前の隋の時代に隆盛だった教学であった。最澄が敢えて、天台教学を求めたのはどこにあるのか。一つは、戒律の問題であり、もう一つは、その統一性である。

 最澄は奈良仏教に対して一つの立場を作ろうとしていた。それには、天台教学がもっともふさわしいものであった。南都六宗というように、様々な教学に分かれ、また、アビダルマ化していた仏教に生命を吹き込むためには、一大乗の教えと、止観、そして菩薩戒が必要であった。

 伝教大師最澄延暦23年(804)、遣唐使として中国に渡り、天台山などで天台仏教を学び帰った。ただ、この頃の中国は天台大師が生きた時代と違った様相を示していた。インドで新しく成立した密教が伝わっており、また玄奘三蔵(602~664年)がインドからもたらした唯識仏教もあった。伝教大師最澄は純粋な天台法華仏教だけでなく、新しい仏教たる密教をも日本に持ち帰った。

 七~八世紀の中国の仏教の状況を見ておこう。
 インドへの留学僧・玄奘がもたらしたインド大乗仏教の新潮流「唯識仏教」は、一世を風靡するようになった。この影響下、唐初には律宗華厳宗が、少し遅れて禅宗真言宗が起こり、これら諸宗は玄宗の治世に最も隆盛となり、教理においても、ほとんど密教に吸収されかかっていたインド仏教を凌ぎ、中国独特の仏教として栄える。

 詳しく見れば次のようになる。
◆ 七世紀後半
 華厳宗が成立。華厳経を根本とする大乗仏教の宗派で、唐初、法順が立て、法蔵(643~712年) が組織づけた。
◆ 七世紀末
 禅宗の分裂。弘忍<ぐにん>まで受け継がれた達磨の法は、慧能の南宗禅と、神秀の北宗禅に分かれる。
◆ 八世紀前半
 密教の流行。中国の仏僧・善無畏(ぜんむい 637~735年)、金剛智(671~741年) 、不空(705~774年)によってベンガルから伝えられ、「真言宗」として確立。
◆ 八世紀
 天台宗が六祖湛然(たんねん)によって復興され、その弟子道邃(どうずい)・行満が受け継ぐ。この頃すでに天台の教えにも密教が混ざっており、道邃・行満に学んだ最澄が806年に比叡山で開宗した日本の天台宗は、禅・密教・菩薩戒などを含んでいる。
◆ 九世紀
 密教は早くも衰退。
◆ 九~十二世紀
 中国仏教は、実生活に結びついた生活宗教となった。貴族階級では禅宗が、庶民階級では念仏宗が栄える。