31-04 『龍樹菩薩伝』を読み解く

31-04 『龍樹菩薩伝』を読み解く

 

■ はじめに

 この章のテーマは、『大乗仏教の興起』である。大乗仏教の興起は謎とされている。はたしてそうなのか。インドにおいては、大乗経典や論書は作成されたが、大乗教団が成立することはなかったのではないか。大乗教団が成立の成立をもって「大乗仏教の興起」というならば、インドには「大乗仏教の興起」はなかったことになる。

 最近になってこの問題は、遺された碑文や当時用いられた戒律を材料として研究されている。しかし、伝記や伝説なども材料として見直されなければならない。伝記や伝説はそのまま、史実を伝えていることもある。また、史実ではなく暗喩となっていることもあり、その場合はそれを読み解くことによって、ある真実が浮かび上がることがある。後者の例で重要なのは、「竜宮」にかかわる部分である。


■ 『龍樹菩薩伝』

 『龍樹菩薩伝』は鳩摩羅什が五世紀初頭に漢訳したものが現存している。いくつかの注目すべき点がある。

1)出家から竜宮の大乗経典にまでたどり着く方法
2)竜宮の意味
3)生き方と最期のすさまじさと禅との相似性
4)鳩摩羅什の創作とのうわさ
5)他の翻訳においても創作の疑い
6)鳩摩羅什自身の数奇な運命
7)鳩摩羅什と律蔵、禅観経典の漢訳の疑問

 龍樹は二世紀前後にインドで活躍した論師である。当時の大乗仏教の苦戦ぶりがうかがえる。およそ、一世紀後に活躍した同じく論師の無着の伝記にも同様の苦難が記されている。これらの伝説が伝えるのは、大乗の教団は龍樹の頃はもちろん、無着・世親の時代にもまだなかったということ。それは、法顕、玄奘の時代になっても大きな違いはなかったということ。龍樹に見られるように、自らの説と大乗仏教の正しさの根拠を竜宮伝説に求めざるを得ないほど、苦戦していたこと。無着の場合にも、自らの論を弥勒菩薩に仮託して説いている。

 この二人の伝説から伺えるのは、大乗仏教の苦戦と大乗教団の不在である。インドではいくつかの大乗経典はできたけれど大乗仏教は少数派にとどまり、大乗の教団はついに成立しなかった、ということができる。


■ 中国への伝来の謎 中国は新天地

 インドでは少数派であった大乗仏教は、新天地を求めた。格好の地が中国であった。新天地中国へ大乗仏教の渡来僧が来た。しかし、彼らは、性急に持ち込むことをしなかった。中国の実情を踏まえ、慎重であった。

 中国の思想、文化に合わせて、漢訳をしたり、すでに入っていた仏像の存在も忘れなかった。大乗仏教はむしろ、中国で初めて成立したといえる。大乗教団に必要な律と禅定に関する経典は、インドにはあるはずがない。このあるはずのない律蔵を求めてインドへ旅たつ僧もいた。法顕である。また、あるはずの禅観経典の翻訳を要請された鳩摩羅什は、あるはずのない大乗の禅観経典を作出した。

 しかし、こうした渡来僧の活躍で大乗仏教は見事中国で花開き、天台、浄土、華厳などの中国独自の教学も生まれた。しかし、その上で、宋の時代に至って、中国は独自の仏教の展開をする。禅宗である。禅宗は、それまでの仏教を否定したが、もっとも中国らしい仏教である。