31-06 『華厳経』と竜宮伝説

31-06 『華厳経』と竜宮伝説

 『華厳経』は、全世界は毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)の顕現であるとする壮大な仏国土の思想を説く経典である。華厳経サンスクリット語完本は未発見である。三世紀または四世紀頃、ホータンで単行の諸経が集成されて成立したといわれている。ホータンは新彊ウイグル自治区タクラマカン砂漠の西南の端の、崑崙山脈を背後にしたオアシス国家であった。

 『華厳経』の伝来にまつわる伝説は興味深い。『華厳経』には三種あったとされている。第一は、上本の『華厳経』である。それは三千大千世界を十集めた大宇宙に遍満する無限の数量の微塵の数ほどもある偈文から成り立っている。第二は、中本の『華厳経』である。それは四十九万八千八百偈、一千二百品から成り立っている。第三は、下本の『華厳経』である。それは十万偈、三十八品から成り立っている。

 この三種の『華厳経』のなかで、上本と中本の『華厳経』は竜宮にあって、この地上に伝わらず、第三の下本の『華厳経』のみ この地上の世界に伝えられ弘まったという。下本の『華厳経』はさらに簡略化されて、三本が中国に伝えられたという。

 東晋仏陀跋陀羅(ぶっだばっだら 359~429年)は、三万六千偈を訳して六十巻とした(晋経)。つぎに唐の実叉難陀(じっしゃなんだ 652~710年)は、四万五千偈を訳して八十巻とした(唐経)。さらに般若三蔵が「入法界品」を訳して四十巻とした(貞元経)。

 この伝説によると、現在見ることができる『華厳経』以外に、上・中本の『華厳経』があつたことになる。上本の『華厳経』は、『大不思議解脱経』ともいわれる。大不思議とは人間のはからい、人間の思惟を絶したことをいう。『華厳経』は人智を絶した仏の智慧によって書かれた。その仏の智慧は空間的には大宇宙の広さをもち、時間的には無限の時間を包摂していた。『華厳経』とは大宇宙の一切の微塵そのものである。大宇宙がすなわち『華厳経』であるというのである。

 『華厳経』がホータンで編纂されたことはすでに唐代の華厳宗の大成者、法蔵ものべているところである。『華厳経文義綱目』という書物のなかで法蔵は、東晋時代の支法領(しほうりょう)という僧が、ホータンにおいて三万六千偈から成り立つ『華厳経』を手に入れて、中国にもたらしたといっている。前述した仏陀跋陀羅はこれを漢訳したのである。

 インドにおいては、『華厳経』を構成している各品である「十地経」や「入法界法」などは流布していたが、これらの小さなお経を集めて編纂された大華厳経は、まだ存在していなかった。ホータンにおいて初めて現存する『華厳経」が編纂されたのである。

 新彊ウイグル自治区には、天山北路と、天山南路(西域北道)、西域南道と三本の道が通っている。ホータンは天山南路の都市で、かつてはたいへんな仏教都市であった。ここで西北インドから中央アジアヘもたらされた『華厳経』のいろいろな断片が集められ、現在われわれの見ることができる『華厳経』の編纂事業がおこなわれたのだろう。それが西域を通って長安、現在の西安市にもたらされ、さらに建康(南京)において漢訳されたのである。

 引用・参照文献
 講談社学術文庫 鎌田茂雄『華厳の思想』P24