No.14 経典の読誦

No.14 経典の読誦

2006/3/14(火)


■ 阿呆陀羅経? 『仏教漢文の読み方』金岡照光

 筆者は、お経のリズムに耳を傾け、寺院の本堂で、ひとときの静寂な時間に身をひたすことは、立派な信仰体験のひとつであって、たとえ経の内容が十分よくわからなくても、貴重な精神生活のひとこまだと考えている。それは、邪念や妄想にかりたてられながら、経の一言一句を詮索するよりは得難い「信」の世界ということができる。

 だから世の機械的な合理論者の説くように、経の棒読みが、単に形骸化した「阿呆陀羅経」であるとは決して考えられない。しかし、もし経に耳を傾ける人が、その内容を十分に読みこなすことができ、把握することができるとしたら、それは単に耳に流れるリズムを味わう以上に、貴重な体験となるであろうことはいうまでもない。


■ 開経の偈

 日本の多くの宗派で日常勤行で詠まれるお経の最初に出てくるものです。出典や起源は明らかではありません。

   無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
   我今見聞得受持 願解如来真実義

 無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭い遇うこと難し。 我、今、見聞し受持することを得たい、願わくは如来の真実義を解したてまつらん。


■ 五種法師(ほっし)の功徳 『法華経』 「法師品(第十)」

 薬王よ、まさに知れ、如来がこの世を去ったのちに、この経をよく書写し、受持し、読誦し、供養し、他人のために説く者は、如来がこの人を衣で覆い、他の世界の諸仏が護念しているのだ。この人には大きな信仰の力、請願の力、もろもろの善根の力がある。まさに知れ、この人は如来とともに住んでいる。

法華経
 般若経(原始分)のあとを受けて、西暦50~150年ぐらいの間に成立した経典で、大乗払教の三要素(三宝)である法(一乗妙法説いう統一の法・仏(久遠釈迦という永遠の仏)・菩薩(仏法の現実具現菩薩)について解明を施したもの。


■ 「右脳の仏教」 紀野一義 『大法輪』 S58.9

 人間の大脳は、右と左で役割が違っている。左の能は「ロゴス脳」として、言語や論理、計算などを司っている。・・・右の脳は、「イメージ脳」として、イメージ記憶を担当している。イメージ記憶の特徴は、映像・心象とことばとが直結していることである。ことばに画(エ)があるのだ。・・・

 大乗の経典は全く論理的でなく、哲学がないとよくいわれるが、それはイメージ脳で書かれたからではあるまいか。『法華経』でも、『維摩経(ゆいまきょう)』でも、『大無量寿経』でも、『華厳経』でも、まるで絵物語か、ドラマでも見ているようである。これを左脳で読んでも始まるまい。右脳で読まなくてはどうにもならぬのだ。・ ・・

 読むのではない。読めば左の脳に入る。歌うように論えるのだ。歌うように論えれば右の脳に入る。