智顗

慧文 慧思 智顗 湛然

2007/5/15(火) 午前 9:23 500『新視点の仏教史』から 歴史

■ 慧文(北斉)生没年、生地ともに不明。

 龍樹の『中論』によって、一心三観の理を悟った。

 ※『中論觀四諦品第二十四』(龍樹撰述・鳩摩羅什訳)
  衆因縁生法 我説即是無 亦爲是假名 亦是中道義
  (大正新脩大藏經 30巻)


■ 南岳大師慧思(515~577年)

◇ 法華三昧を証悟

 慧思は般若空観の実践者であったから、鳩摩羅什によってもたらされた空思想の流れを汲む者である。しかも彼は『法華経』を大乗頓覚の教えであると理解して、『法華経』に救いを求めた。そこにはそれ以前とは異なる仏教思想上の展開があったと考えられるのである。

 例えば『法華経』を読誦することにより滅罪を願う普賢信仰や、観音の名を称えることによって苦難から脱れることを願う観音信仰が一般に広く行われるようになった。これらの信仰の具体的な事例については、『法華伝記』などにみることができる。慧思が生まれ育ったのは、このような時代の北朝社会においてであった。


■ 天台大師智顗(538~597年)

「空」のニヒリズムを「衆生の発見」で克服した

 慧思が安楽行と呼んだ法華三昧の行法は、『法華経』のほか『観普賢菩薩行法経』をもとに組織だてをしたものである。二十一日をかけて道場を淨め、経を誦え仏を拝むといった修行法であり、やがて智顗の『法華三昧讖儀』にまとめられる。・・・・・

 慧思の教えにしたがって昼夜『法華経』を誦えていった十四日目、薬王品の「諸仏は同しく『是れ真の精進なり、是れを真の法供養と名う』と讃う」の一句にさしかかった。智顗は突如、身も心も豁然として経の極意を悟った。

普賢道場にて四安楽行(『妙法蓮華経安楽行品第十四』に説かれる四つの安楽行)を教えられ、二七日(14日)目に『妙法蓮華経薬王菩薩本事品二十三』の「其中諸佛同時讚言。善哉善哉。善男子。是眞精進。是名眞法供養如来。(其の中の諸仏、同時に讃めて言わく、善哉善哉、善男子、是れ真の精進なり、是れを真の法をもって如来を供養すと名く。)を誦し、身心豁然として入定する(大蘇開悟 ※3)。

 要するに『法華経』に一貫して流れる一乗開会、つまり仏の慈悲のもとでは、機根(能力や資質)によって菩薩(=大乗)だとか、声聞(=小乗)、縁覚(=中乗)といった救いの乗物に差別があろうはずはなく、小・中の二乗もやがて導かれ、一乗に帰せられ成仏できる。この二乗作仏という教えを智顗は悟ったというわけである。


■ 妙楽大師湛然(711~782年) 唐代中期

 広く律、唯識、華厳に通じ、それらに対抗し宗勢を発展させた。また、天台宗の伝統を確立しそれを宣揚した。弟子のうち、道邃と行満は後に入唐した最澄の受法の師である。


<註>
※『摩訶止観』 十巻
 天台大師が594年、荊州玉泉寺で講義した筆録。『法華文句』が法華経の解説、『法華玄義』が法華経の題目の解説とすれば、『摩訶止観』はその実践を説いたもの。
  円頓止観(序文)、十乗観法(正説-正修-陰入界境)、
  一念三千(正説-正修-陰入界境-観不思議境)、
  四種三昧(正説-大意-修大行)、
  一心三観(正説-正修-陰入界境-修道品)など、

※「五時八教」
 五時八教という用語は妙楽大師湛然が既に使用している。しかし、教相判釈としての五時八教が現在の形に完成したのは宋の時代である。諸経に対して法華経が最も優れていることを解りやすく説明していて、天台を学ぶ者がまず教わることであるが、果たしてそれが元々の天台の教義であるのかどうか。また、学術的なインド仏教学が一般的に認知されている時代に、それがどれだけの妥当性と説得力を持っているのか。検証が必要だ。


参照・引用
http://www.kosaiji.org/hokke/tendai/kyogi.htm