31-07 『龍樹菩薩伝』と竜宮伝説

31-07 『龍樹菩薩伝』と竜宮伝説

2006/9/10(日)


■ はじめに

 龍樹(りょうじゅ ナーガールジュナ)はおよそ紀元150頃~250年頃のインドの論師である。伝記を記した『龍樹菩薩伝』によると、南インドバラモン出身で、バラモンの学問をすべて習得したのち、仏教に転じ北インドに移る。当時の小乗仏教(部派仏教)と初期大乗を学び、大乗仏教に傾倒した。特に空の思想を確立した。龍樹以後の大乗仏教はすべてその影響下にあり、中国や日本で「八宗の祖」といわれる。『中論』や『大智度論』をはじめ、多くの著書がある。


■ 『龍樹菩薩伝』

 ナーガールジュナ(龍樹)の人がらや経歴について確実なことはほとんど何も知られていない。わずかに残された資料は、鳩摩羅什(くまらじゅう)が五世紀初頭に漢訳したと伝えられている、次のようなフィクションにみちた伝記の『龍樹菩薩伝』だけである。

 ナーガールジュナは南インドバラモンの家に生まれ、『ヴェーダ聖典』を初めとするバラモン教学を学んで成長した。天性の才能に恵まれていたので、まだ若いうちからその学識をもって有名となった。彼は、これも才能ゆたかな三人の親友をもっていたが、ある日たがいに相談し、学問の誉れはすでに得たから、これからは快楽を尽くそうと決めた。彼らは術師について、自分の身体を見えなくする隠身の秘術を習得し、それを用いて王宮にしばしば忍びこんだ。

 100日あまりの間に、宮廷の美人はみな犯され、子をはらむものさえ出てきた。驚いた王臣たちは対策を練り、門に砂をまいて衛士にこれを守らせた。砂上の足跡をたよりに多数の衛士が空に振った刀によって、三人の友人は殺されてしまった。王のかたわらに身をさけたナーガールジュナだけは斬殺を免れた。そこに隠れている間にナーガールジュナは欲情が苦しみと不幸の原因であることにめざめ、もし自分が宮廷をのがれ出て生きながらえるならば出家しようと決心した。

 事実、逃走に成功した彼は山上のストゥーパ(仏塔)を訪ねて、戒律を受け出家した。そこにとどまった90日の間に小乗仏典を読破、習得してしまった。さらに別種の経典を探したが得られないでいるうちに、ヒマラヤ山中にあるストゥーパにいた一人の年老いた出家僧から大乗経典を授けられた。非常な興味をもってこれを学んだが、まだ深い真実を得なかった。

 彼はさらに経典を探し求めてインド中を遍歴したが、その間、仏教・非仏教の遊行者・論師と対論し、みなこれを論破した。そこで慢心を起こした彼は、仏教の経典は微妙ではあるが、論理的に検討してみるとまだ完全でないから、自分が論理をもって仏典の表現の不備な点を推理し、後学を教えようと考え、一学派を創立しようとした。

 マハーナーガ(大竜)菩薩がナーガールジュナの慢心を哀れんで彼を海底の竜宮に導き、宝蔵を開いて大乗経典をナーガールジュナに与えた。彼は90間でこれを学び、多くのことを理解し、深い意味を悟った。