32-29 仏教の平等と新興勢力

32-29 仏教の平等と新興勢力

 

■ 中村 元 『インド思想史』 岩波全書

 これらの大国においては王権がいちじるしく伸張し、王族は人間のうちでの最上者と見なされていたが、バラモンは従前ほどの威信をもっていなかった。また諸都市においては商工業が非常に発達し、貨幣経済の進展とともに莫大な富が蓄積され、商工業者たちは多数の組合を形成し、都市内の経済的実権を掌握していた。

 『たとい奴隷であろうとも、財宝・米穀・金銀に富んでいるならば、王族もやバラモンも庶民もかれに対して、先に起き、後に寝、進んでかれの用事をつとめ、かれの気に入ることを行ない かれには快いことばを語るであろう』と旧来の階級制度は崩壊しつつあった。他方物質的生活が豊かに安楽になるにつれて、ややもすれば物質的享楽に耽り、道徳の退廃の現象もようやく顕著になった。


■ 梶山雄一 『「さとり」と「廻向」』 大乗仏教の成立 講談社現代新書 昭和59年

◇p104

 バクトリアギリシア人王メナンドロス(ミリンダ)が仏教僧ナーガセーナと仏教について対論し、やがては仏教に帰依した。クシャーン王朝のカニシカ王が、かつてのアショーカ王にも比すべき仏教の保護者であった。

 紀元前後に西北インドにつぎつぎと侵入した外来民族の人びとが、土着化の進むにつれて、仏教に帰依するようになったのには理由がある。バラモンを頂点に、階級制度が厳密に規定されていたハラモン教ないしヒンドゥー教社会はきわめて排他的であり、ギリシア人が文化的にいかに先進民族であったにしても、外国人であるというだけで賎民として扱われた。外来人はバラモン教の社会に受け容れられなかったのである。

 それに対して仏教は、その開教以来、四姓平等をとなえていた。そして内外人を差別することもなかった。『ミリンダ王の問い』によると、「人が戒律に安住して正しく注意努力するならば、サカ国でもギリシアでもチーナでも、ヴィラータ(韃靼)でも、アレクサンドリアでもニクンパでも、カーシー(ペナレス)でもコーサラでもカシュミールでもガンダーラでも、山頂においても、焚天界においても、いかなるところにいても、正しく実践するものは、涅槃を証する」という。

 仏教は、民族や地域の差を超えて、万人に開かれた宗教であったのである。そのために、征服王朝の王たちや外来の人びとのなかには、定住してインド化するにつれて仏教徒となる者が多かった。

◇ p113

 この時代の混乱した社会情況を写した記録としては、大叙事詩マハーバーラタ』の「マールカンデーャ・パルヴァン」が挙げられよう。仙人マールカンデーヤは、予言の形でカリ・ユガ(世界の滅亡する末世)のあさましさを語るのだが、それは一世紀初頭の北インドの実情に触れているものである。

 不浄な野蛮人たちがバーラタヴァルシャ(インド)の聖地を踏みにじり、殺人、略奪をくりかえし、強盗は跳梁し、家庭と社会は破壊される。伝統的な犠牲祭と儀礼はすたれ、バラモンたちは酷税を逃れて逃げまどい、奴隷がバラモンたちに命令するようになる。栄える唯一の宗教は、死人の骨を入れたエードゥーカ(塚)を崇拝する異教徒の教えである。それはストゥーパ(塔)を祀る仏教徒のことにほかならない。