31-03 仏教の普遍性と「土地の神」

31-03 仏教の普遍性と「土地の神」

 

 仏教がどのように伝播し、発展していったのかを考える場合に忘れてならないのは、その土地の神の存在である。「神」というと日本の神道を想い起す人が多いがここでは、「土着の神」という意味で使うこととする。

 仏教の歴史に関してよく問われるのが、「中国へ仏教がどのようにして入ることができたのですか」という質問である。確かに、仏教が入る前の中国は儒教が官学とされ、高度な独自の文化と伝統を持っていた。そこにどうして仏教が受け入れられたのか。誰もがいだく疑問であろう。

 受容を可能にしたものとして、漢の崩壊と分裂、胡族など他民族の侵入があげられる。五胡十六国の時代に国を興した胡族は中国の伝統文化に捉われることはなかった。むしろ、中国の伝統文化に対抗するために仏教の外来性が歓迎されたこともある。また、魏晋南北朝時代の政治的混乱は老荘思想が広がり、仏教を受け入れる素地が形成された。

 しかし、中国の仏教の受容を「神と仏」という観点から考えてみれば、この問題は中国特有の問題ではないことがわかる。仏教が入りはじめた中国には、儒教と後に道教となる神仙思想などがあった。日本においても神祇思想との相克があった。さらに仏教発祥の地のインドですら後にヒンズー教となるバラモン教との相克のうえに仏教は成立した。クシャン朝にもゾロアスター経などの固有の宗教があった。

 仏教がそれぞれの地で受容されてきたのは、仏教のもつ「普遍性」ということができる。しかし、その「普遍性」とは一体何なのか。