構想メモⅣ

00-10 構想メモⅣ(このブログの意図)

2007/5/8(火) 午前 10:48 000 はじめに 歴史

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■ BLOGの意図

01.インドの仏教史が中国の仏教史の展開の先取りであった、というこれまでの説に対する疑問の提起がこのブログの出発点である。
02.また、インドにおいては、そもそも大乗仏教の教団が存在しなかった、のではという疑問も提起している。
03.そこまでは、グレゴリー・ショペン博士の見解と同じである。しかし、決して受け売りではなく、このように考えざるを得ない、というところまで到達していた。
04.インドで発掘された仏像に阿弥陀仏像が一例しかない、さらに、西域にも阿弥陀仏信仰の痕跡がないことや
05.また、初期般若経典の「空」と仏像の制作・礼拝が矛盾するのでは、というのがその理由である。

06.ただ、これまでの歴史の見方に対して、余りにも突飛な考えで、発表をためらっていたところで、ショペン博士の本との衝撃的な出会いがあった。
07.ショペン博士は、根本うぶ律の研究でこのような結論に到達された。碑文の研究からも同じような結論が出ているようにも思われる。
08.わたくしはこの考え方を数歩先に進めることが必要があり、可能だと考えた。インドの仏教史だけでなく、中国の仏教史、更には日本の仏教史の問題についても大きな影響を及ぼすことになると考える。
09.しかし、その影響は、混乱をもたらすものではない。これまでの未解明な問題について解答を与えてくれることが多いと思われる。
10.インドにおける仏像の成立の経緯についても解明の手がかりを提供してくれているように思われる。

11.大乗教団の不在は当然ながら、仏像の制作は部派仏教の教団によってなされたことを意味することになる
12.仏像の制作と経典の書写は、いずれも「聖なるものに形を与えることへのタブー」がその理由であったことを指摘しておきたい。
13.タブーは「上」から破られる。経典の書写のタブーはマウリア朝のアショカ王詔勅碑文、仏像制作のタブーはクシャン朝の王の金貨によって破られた。
14.中国仏教の展開にも新しい視点が提供された。大乗仏教は中国においてはじめて成立した、といわなければならない。
15.中国における「仏像と大乗仏教の結合」、「大乗仏教の成立(創造)」の過程をかなりの程度まで解明したつもりである。

16.「空」はともするとニヒリズム化した。この克服が中国の大乗仏教に課せられた大きな課題であった。「空のニヒリズム化とその克服」がキーワードである。
17.中国天台の祖師たちは、鳩摩羅什のもたらした「中観教学」の「空」から出発し、法華経の一乗思想と涅槃経の如来蔵思想を加味し、また、民衆の間に起こった観音信仰や普賢菩薩信仰にさえられて、その教学を発展させた。
18.天台智顗の天台教学は、中国仏教をそして大乗仏教を完成させたものである。
19.鳩摩羅什の漢訳を通じて取り入れた「空」を教学の中心に取り入れ、禅観法と戒律を補って天台教学は完成した。
20.禅観法と戒律を補うにあたって、偽経(中国撰述の経典)の果たした役割は大きい。

21.浄土教も中国で成立した大乗仏教である。
22.仏教の伝来と受容を、土着の神との相克の中で捉えるというのは、名古屋大学の教授であった宮治先生の方法論であったと思うが、中国での大乗仏教の成立を見るのにもこの視点は重要と考える。
23.中国の禅宗の成立は、天台教学の成立に比すべき画期的事件である。仏教が中国の土着の神と融合したのが、禅宗であると考えられる。
24.中国の仏教史とインドの仏教史がパラレルな関係にないことはこのブログの出発点であるが、中国の仏教史と日本の仏教史の意外なパラレルな関係には、気付いていただきたい。
25.中国の仏教の受容期は、魏晋南北朝時代である。日本では奈良時代が丁度この受容期にあたる。南都六宗のなかには、小乗仏教もはいっており、大小未分化であった。また、各宗派において戒律も修行法も確立していなかった。

26.この状態は、まことに、魏魏晋南北朝時代の仏教の状態とそっくりである。最澄が天台を輸入したのは、天台こそがその総合性、体系性ゆえに、奈良仏教を批判的に継承し、日本の大乗仏教を完成させるためにもっとも有効であると考えたからである。
27.空海密教も仏教の体系化・総合化を目指すものであった。例えば、『十住心論』
28.大乗戒壇の意味は、このインド、中国、日本の仏教史の非パラレル、パラレルな関係というネジレの中から生じたものである。
29.最澄から見れば、中国大乗仏教の戒律は小乗仏教の戒律を接木的に使う不徹底なものであった。中国の仏教のほころびを見つけてしまったのである。
30.親鸞浄土真宗は、この天台を母として生まれた。日本の土着の神と仏教が融合した形と言えるだろう。中国の禅宗の成立とパラレルな位置にあるといえないだろうか。

31.こうしてみてくると、聖徳太子の仏教の先見性とそれが日本の仏教の地下水脈の役割を果たしてきたことがわかる。
32.太子信仰は、最澄においても、親鸞においても、重要な役割を果たした。
33.仏教史の新しい見方はどのような意味があるのか。仏教の歴史がわかりやすくなることはあきらかである。
34.日本の仏教の独自性がよりあきらかになると思う。それは、またこのような日本の仏教を創造してきた諸師の努力を再認識することになる。
35.また、日本仏教の独自性を認識することによって、逆に、東南アジアやスリランカに受け継がれてきた上座部仏教との対話もより容易になるのではないかと思う。