24-10 「一向大乗戒」のパラドックス

24-10 「一向大乗戒」のパラドックス

2006/10/31(火)


 彼(最澄)の自己意識において、最澄は天台智顗の教説の祖述者であり、彼はなんら独創的思想家であろうとしなかった。にもかかわらず、私は彼の思想には天台智顗にない思想が、少なくとも一つはあると思う。それは一向大乗戒壇設立の思想である。最澄は『顕戒論』その他で、このような一向大乗戒が、中国にはもちろん、インドにも存在しているものであることを、文献をあげて論証しようとしている。

 しかし、そのようなものは、インドや中国には存在しなかったのである。たとえば、道元が渡宋したとき、南都で戒を受けた道元の師、明全(みょうぜん)の戒は正式の戒として認められたが、叡山で大乗戒を受けた道元の戒は、正式に認められなかった。このことはやはり、中国においても僧戒といえば、二百五十戒を指し、一向大乗戒などというものは、中国仏教の伝統からいって、容易に認められないものであったことを示している。事実としては、小乗戒とちがった大乗戒なるものはインドにも中国にも存在しなかった。

 一向大乗戒は、まさにインドにも中国にもない、日本独自のものであった。それは最澄の発明であり、最澄の純潔なる生涯によって、この一向大乗戒は日本仏教の歴史の中に定着した。

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 インドにおける大乗戒壇の例として、彼は玄奘(600~664年)の『西域記』や義浄(635~713年)の『南海寄帰内法伝』の記事をあげているが、これらの書物には、一向大乗の寺や、一向小乗の寺や、大乗の寺と小乗の寺がまじった寺があるという記事はあるが、一向大乗の寺において、一向大乗の戒が授けられているとは、書かれていないのである。

引用・参照
・梅原 猛 『仏教の思想5 絶対の真理<天台>』 角川書店 p298~