24-09 最澄と聖徳太子(最澄の心戒文)

24-09 最澄聖徳太子最澄の心戒文)

2006/10/25(水)

 

※再掲です。

 大師は弘仁七年(八一○年)、四天王寺聖徳太子廟に参詣されたときに、次のような詩を太子に捧げられた。

 四天王寺上宮廟に謁する詩
 今我が法華聖徳太子は是れ南嶽慧思大師の後身なり、厩戸に生を託し四国を汲引す。
 持経を大唐に請い、妙法を日域に興し、木鐸を天台に振い、其の法味を相承する日本の玄孫興福寺の沙門 最澄愚なりといえども願くば我が師教弘めんことを渇仰の心に任え謹んで一首を奉る。

 海内に縁力を求め 心を聖徳の宮に帰す
 我今妙法を弘め 師教をして無窮ならしめん
 両樹春に随って別れ 三奔節に応じて同じ
 願くは唯だ円教をして 加護し興隆を助けしめ給え
             (伝述一心戒文巻中)

 私どもの尊崇する法華一乗の聖徳太子は中国南嶽慧思大師の生まれ変わりである。厩戸でお生まれになり日本国をお治めになった。太子の玄孫に当たる興福寺の僧、私最澄は唐に渡り天台の教えを学んだ者でありますが、わが師たる聖徳太子をお慕いし、崇めまつり、その教えを弘めたいと念願して一首を奉ります。
 私は日本で法縁を得て心を太子に捧げ、妙法蓮華経を弘め太子の教えを永遠のものとしようと思っています。春に大樹が成長して枝分かれするように、仏教は大乗・小乗と分かれ、あるいは比叡山高野山、天台・真言両宗に分かれています。しかし、もろもろの草が雨のうるおいを同じく受けるように、仏教においても教法や信奉する教義がちがっても、また理解の度合いがちがっても、太子が万善同帰と言われるように一条の法界に達します。どうか私が弘めようとしている円教(法華一乗)を加護し興隆をお守り下さい。

 以上のように、伝教大師は自らを聖徳太子の玄孫と自認し、太子のご精神たる法華一乗を日本に伝法することを誓われたのである。

引用・参照URL
 瀧藤尊教著 『聖徳太子の信仰と思想』 善本社