No.07 山本健吉『エリオットと日本の詩』から

 エリオットはこの論文において過去の現在性、現在の過去性に立脚した、伝統論、非個性論を展開している。作品の鑑賞と批評との対象は、作品でなく作者の個性であり、作品はそのための通路にしかすぎない。

 作品創造の原動力を個性の中に求めようとするところの、近代の文学観は、言わばロマンチシズムが、個人主義的文学間の上に立って、「創造」という観念を導入したところに 始まっている。それまでは神のみに属した「創造」という観念を、神が創り出したものを「模倣」するのにすぎなかった人間が、みずからの個性の栄誉ある属性として、神からさん奪したところに、近代の芸術観は芽生えた。

 エリオットは、自分の制作物に対して神の位置に立って、自分のみが為しえたという独創の栄誉を要求するところのロマンチックな個性を否定するところろから、彼の文学論体系を展開する。


山本健吉『文学と民族学

 文学が個性の表現であり、個人の創造物であるとという考えかたは、ルネッサンス以来人々の自覚に上ってきたものである。ことにロマンチシズムの文学以来、ルソーの『告白』以来、明白に意識されるようになったものである。

 ルソーの『告白』は、一人の人間、すなわち自分を、全く自然のままの姿で公衆の面前にさらすという「告白」が、そのままで文学表現になりうるという、ロマンチシズムの力強い第一声である。・・・そしてそれが、文学における近代個人主義の第一声となるのだ。

2006/3/1