No.08 今西錦司の進化論

今西錦司 『自然学の提唱』

 長い過去を振りかえるととき、私が学問をつづけてきたことは、確かなのであるけれども、ではいったい何学を志向してきたのであるろうか。・・・いろいろのことをしてきたけれども、終始一貫して、私は自然とはなにかという問題を、間いつづけてきたように思われる。・・・私の求めていたのものは自然学なのであった。

 自然学の探求に、自然科学的方法論を用いて悪いという理由はどこにもない。しかし、自然学の探求には、自然科学的方法論を用いるだけでは、到達できない一面がある。自然学には直観の世界も、無意識の世界も、取りこまなければならないからである。


世界の名著 中公新書 p122

 当時のイギリスの社会思想とくに経済思想がダーウィンに大きく影響をおよぼしている 。このことは、端的には、マルサスの「人口論」とダーウィンとの関係のばあいにみられる。ダーウィンは、マルサスの「人口論」のいう生存制限説から重要なヒントをうけて「自然淘汰説」を着想したからである。一方、一面化し、弱肉強食というかたちに単純化された生存競争説をそのまま人間社会へ適用することが、ダーウィンの影響として、社会思想の面にあらわれた。ハーバート・スペンサーは、自然淘汰と適者生存を人類の進歩の様式であると主張した。ヴィクトリア王朝時代の自由放任主義が、こうした思想を生む母胎であった。


水田 洋編 『社会思想史』有斐閣双書 p127

 ダーウイン主義はまず、生物学をはじめとする自然科学の分野で受け入れられる。・・

 ダーウィン主義の自然科学における制覇は、次第にその範囲を広げて、社会科学の分野にも及んでゆく。しかしながら、ダーウィン主義アメリカヘの伝播においてもっとも特徴的なことは、それが学問的、知的関心をよびおこすものとしてだけではなく、世俗的な人間の行動原理としてもまたもてはやされたことである。

 資本主義興隆期のアメリカにおいて弱肉強食の苛烈な闘いが展開されるなかで、ダーウィン主義は強者にとってのまたとない理論的武器とみなされた。かれらは、ダーウィン 主義を根拠に、強い者、才能あるものが競争に打ち勝つのは当然の利であり、成功と富は自然法則によってもっとも生活に適合した者の上に輝くものであることを、まことしやか に主張する。・・・ダーウィンの思想が、アメリカにおいて途方もなく楽観的な資本主義賛美の理論に変貌するのは、なによりもダーウィンの思想がスペンサーの思想を媒介として多くのアメリカ人に受け入れられたためである。

  スペンサーは、競争こそ社会進歩の原動力であると主張する。進歩は必然であり、競争に勝ち残った者のみが進歩の担い手となる。したがってかれは、進化の過程で社会から除去されるべき敗者を助けるような国家の施策にはいっさい反対する。

 

2006/3/12(日)