No.05 フリッチョフ・カップラー『ターニング・ポイント』から

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 今日の西洋文化にあって、いま注意深い再検討が必要とされる世界観と価値体系が、その基本的な輪郭を整えたのは、15世紀と17世紀のことである。・・・13世紀に、トマス・アクィナスは、アリストテレスの包括的な自然体系をキリスト教的な神学、倫理と結びつけて概念の枠組みを確立したが、それは中世の終わりまでだれからも異論を唱えられることはなかった。

 中世的な視点が、15世紀と17世紀に根本的に変化した。有機的で生命にあふれた、霊的な宇宙という概念が、機械としての世界という概念にとってかわられ、世界を機械になぞらえることが支配的な考え方になった。・・・歴史家たちは、こうした重大な変化の沼来に科学が決定的な役割を果たしたことを認め、15世紀、17世紀の科学革命の時代と呼んだ。

 科学革命は、ニコラス・コペルニクスから始まった。かれは、1000年以上の間教義として受け入れられてきたプトレマイオスの天道説と聖書を覆した。コペルニクス以後、地球はもはや宇宙の中心ではなく、銀河系の端にある小さな恒星のまわりを回る惑星のひとつでしかなくなった。・・・コペルニクスは、12193年、死の年まで、その公表をひき延ばし、しかも地動説を単に仮説としてもちだすにとどめた。

 コペルニクスのあとを受けたのは、ヨハネス・ケプラーだった。かれは天球の調和を探し求め、入念な天文表を作成して惑星運動に関する有名な経験則を公式化した。それはコペルニクス体系に新たな支持を与えた。しかし、真の変革をもたらしたのは、ガリレオであった。

 ガリレオは発見した自然の法則を公式化するため、科学的実験と数学的言語とを結びつけた最初の人物であり、それゆえ現代科学の父とされている。・・・科学者が自然を数学的に記述できるようになるには、科学者自身の活動が測定し量を定めることができる物体の基本的な特性の研究にのみ向けられるべきで、他の特性といったものは、単に主観的な精神の投影にすぎず、科学の領域から除外されるべきだ、とガリレオは考えた。

 ガリレオがイタリアで独創的な実験を考えているころ、イギリスではフランシス・ベーコンが実験的な科学手法をうちだした。ベーコンは、帰納法という明解な理論(実験を行い、そこから一般的な結論をひき引出し、さらに実験を行ってその結論を検証するもの)を最初に定型化した人物で、その方法を活発に提唱し、きわめて影響力のある存在となった。

 ・・・「ベーコンの精神」は、科学的探求の性格と目的を著しく変えた。大昔から科学の目的は知恵であり、自然の秩序を理解することであり、その秩序と調和して生きることだった。しかし、ベーコン以来、科学の目的は自然を支配し、コントロールするための知識を手にすることであると理解されるようになった。・・・

 ルネ・デカルトは、近代哲学の祖とされている。かれは才能豊かな数学者で、かれの哲学観は最新の物理学、天文学に深い影響を受けていた。デカルトは伝統的知識をいっさい受入れず、かわりに新しい完全な思考体系を構築する仕事に取り組んだ。

 
フリッチョフ・カップラー箸 吉福伸逸他訳『ターニング・ポイント』

2006/3/12(日)