32-14 仏陀像不表現の理由

32-14 仏陀像不表現の理由

2006/8/19(土) 午前 3:58 --32 仏像と経典の成立 歴史

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 とにかく、仏陀の最後生における姿を描出しないということに、特に注目すべきである。例えば「阿閣世王の礼仏」と題銘のついたバールフットの浮彫があって、貴人が方座の前に脆坐し合掌しているところが描かれる。しかもその方座には傘蓋があって、踏台に仏足跡を表わすだけで釈尊の姿が見当たらない。このような奇異な表現は、あらゆる不便を忍んでも常に固執されているところに興味があり、それにはなにかの理由があって、描出をあえてしなかったのに相違ない。

 その理由は、種々の方面から穿鑿し、究明されねばならない問題であり、ここに簡単に述べるわけにはいかないが、そのいくつかの理由として考えられるところを記すと次のようなものがある。すなわち、仏陀の完全な般涅槃が信じられているかぎり、これを変為する具体的な形に再現することは禁じられたという理由であろう。さらに、仏身観の発達から、仏陀は「貌を象るべからざる」超人と信じられることとなっていたこともその理由の一つである。

 また、最初期からの仏教徒の礼拝が、塔や菩提樹を対象として漸次特殊な形に発展したために、象徴によってある事件を表わすという伝統が早くから固執されていたなどの理由が考えられる。そして、このような不表現の伝統が成立すると、教団が制作者に対して「仏身像のごときはまさに作るべからず」といった禁止的態度を採ったとしても当然でなければならない。しかし、経律の文から、仏像を表現しないという積極的な徴証を求めるとは極めて困難である。

 単一な礼拝像のようなものは、その仏伝図の仏像を特に強調して大きく描いたことから次第に脱化発展して本尊仏となったのであろう。それと共に観仏思想などが勃興して造像と影響し合うこととなり、あるいは後には大乗仏教の興隆に応じて、大乗特有の仏菩薩像などが制作されるに至ったと解される。

 なお、この造像の創始と大乗との関係も一応は考えられるが、しかし造像ということに対して大乗仏教徒の手を俟たなければならなかったと考えなければならないほどに、思想的必然性は見当たらない。また、仏像が観仏思想から要請されるに至ったとする説も傾聴しなければならないが、事実はむしろ造像が観仏に先行したものと見るべきで、これが仏教美術の歴史的見方であろう。

引用・参照
高田修 『仏教の説話と美術』 講談社学術文庫 p56、p60


 初期仏教美術時代に於ては、仏陀や出家以前のシッダールタ太子を人の形を以て描写することをしなかった。この時代の仏伝図は、釈尊はその四大事(「四相」すなわち仏誕・降魔成道・初転法輪・涅槃)のそれぞれを象徴する蓮華・菩提樹・法輪・仏塔などの象徴物で表されたり、あるいは仏座や仏足石をもってそこに居るべき釈尊を暗示したりした。

 仏像が造られはじめたのは仏陀の死後およそ数百年を経てからである。仏像がなぜ造られ始めたのかはいまなお謎である。同時に、なぜ、長い間仏像が造られなかったかも謎である。

 仏陀を像として描写しなかった理由を、仏教学者は、経典に「最後の生涯の終りに於て涅槃に入られた釈尊の姿は、何びとも、神々ですらも、これを見ることが出来ない」と説かれている(『長阿含経』など)ことによって説明する。美術史学者の一部には、他の古い宗教にも共通してみられるように、人間を超越した偉大な存在(仏陀やキリストなど)を卑近な人間の姿を以て表現することを避ける、偶像否定の心理を見ようとする意見がある。

ここは、跡見学園女子大学のWeb
「柳上書屋」(http://www2.mmc.atomi.ac.jp/web01/)を引用・参照


以下は、私の見解である。

 おそらく、仏教特有の問題があると思う。仏陀の説いたのは、真実である。仏陀がこの世に現れようと現れまいと存在する真実を解き明かしたのである。したがって、初期の仏教においては、仏陀と真実は切り離して捉えられ、また仏陀そのものよりも仏陀が説いた「真実」がより、重視された。ところが仏陀が亡くなってから、「仏陀」と「真実」が次第に結びついてゆくようになる。

 仏陀の説いた真実は仏陀だからこそ説くことができた。仏陀の神格化が始まる。仏陀は超常的な存在とされ、仏伝のなかで転輪聖王と並列して扱われるようになり、三十二相八十種好のイメージが作られていった。

 その後、いろいろなことがわかってきた。上記の見解も訂正したい。

 聖なるものを形に表わすことのタブーは、発生のはじめから文字を持たなかった文明の場合に強いようだ。インドの場合がそうであった。このタブーは、仏陀像を表現することのみならず、仏陀の教えを文字で表わすことすなわち経典の書写にも及んでいた。それゆえ、仏陀像の表現と経典の書写の始まりは密接な関係があること、また、経典の書写の始まりは紀元前後の可能性が高いことを指摘しておきたい。

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22-25:言霊思想と仏教の受容:http://blogs.yahoo.co.jp/umayado0409/46298396.html