32-17 アジャンタの石窟

32-17 アジャンタの石窟

2006/8/22(火) 午前 5:54 --32 仏像と経典の成立 歴史

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 アジャンタはインド西部、デカン高原の断崖に作られた仏教石窟群である。マハラシュトラアウランガバードから100㎞の人里離れた谷にある。ワゴーラ川がU字型に歪曲する川沿いの断崖に、まず、紀元前一世紀ころに修行の場として石窟寺院が作られ始め(上座部仏教期)、紀元後五世紀ころからは付近の王侯貴族により豪華な寺院が作られるようになった(大乗仏教期)。その後、八世紀ころに放棄され、以後、1819年に虎狩りをしていたイギリス騎兵隊のジョン・スミスが虎を追いかけて偶然発見するまで1000年もの間、忘れ去られていた。現在まで約30の石窟が発見されている。

 壁画は石窟の内部にあり、暗いうえに、色落ちや剥落のため判別しにくいものが多い。しかし古代インド仏教の壁画は現存するものが少なく、アジャンタの壁画は美術史上貴重である。特に重要な壁画を残しているのは第1、2、16、17窟である。

<第1窟>
 アジャンタで最も有名。ここは6世紀(大乗仏教期)に、当時、この地を治めていた皇帝が作ったヴィハーラ窟(僧院)で、アジャンタの石窟寺院の中でも最も完成度が高いと言われている。彩色された豪華な壁画が残っている。ここの最深部に置かれた本尊の左右に描かれているのが有名な蓮華手菩薩と金剛手菩薩。どちらも美しい。

<第2窟>
 第2窟はやや狭く、前室の側壁の「千仏図」が見どころ。

<第7窟>
 石窟の構造には馬蹄形のものと長方形に彫られたものがある。例えば第7窟の内部は馬蹄形に掘られ、壁にそって列柱があり、回廊を作っている。また入り口や柱に施された数々の装飾彫刻は荒削りであるが、おびただしい数の釈迦の姿が彫られており、初期仏教の力強さを感じさせる。

<第9窟・第10窟>
 紀元前1世紀~紀元後1世紀に造られたもので、アジャンタ石窟群の中でも最も初期のものである。
「チャイティヤ(礼拝堂)」で、奥にはストゥーパ(仏塔)や仏像が祀られている。八角の列柱に囲まれているが、初期のストゥーパや柱にはレリーフはない。

<第16窟・第17窟>
 五世紀にヴァーカタカ王朝のハリシェーナ王のもとで着工された、内部に仏堂のあるヴィハーラ(僧院)。柱や天井の植物模様や仏陀の説話を描いた壁画はとても美しい。

<第26窟>
 アジャンタの中では最後期にあたる7世紀のチャイティヤ(礼拝堂)。 中央奥には腰掛けている仏像の浮き彫りがあるストゥーパがある。入口や内部の壁には、精密な菩薩像やアプサラ(天女)の姿が掘られている。左側廊下には長さ7mで、インド最大の涅槃像がある。周りには嘆き悲しむ弟子たちや信者たちが描かれている。

 石窟群には釈迦を祀るためのチャイティヤ窟と僧侶が寝泊まりするヴィハーラ窟の2種類がある。チャイティヤ窟内部の最も奥まった部分にはストゥーパ(仏塔)や仏像が祀られている。ヴィハーラ窟はより簡素であり、僧の個室が掘られており、岩から彫り上げたベッドなどが残っている。

 石窟がこの場所に作られた理由は三つあるという。ひとつは花崗岩が適度な硬さで彫りやすかったこと。二つ目は、水があったこと。修行をする僧の生活用水としてだけでなく、石を掘る際に水を使った。また仏事にも水が必要だった。三つ目の理由は地理的理由で、瞑想のためには静かな自然環境が必要だったこと。しかし、同時に交易のための街道から離れすぎず、俗世界との関わりも保たれていた。アジャンタはデカン高原の諸王朝の寄進に支えられていたのである。

引用・参照
・アジャンタの洞窟寺院
 http://www.shonan-inet.or.jp/~gef20/gef/whtrust/ajanta.html

※下記サイトには鮮明な写真が整理されている
http://kawai51.cool.ne.jp/ajyanta-index.htm